May 09, 2016

山内昌之東大名誉教授「中東複合危機から第三次世界大戦へ」読後感


 山内教授のこの極めて刺激的な題名の書物は、2015年11月に起きた「イスラーム国によるパリ大虐殺テロの直後、ローマ法王フランシスコが「これはまとまりを欠く第三次世界大戦の一部」だと表現したことに由来する。
 中東イスラーム地域は我が国からは地理的に遠く、また歴史的にもなじみが薄いので、深刻な状況が起きていることは知っていても、何故そのような事態になったのか、一体何が起きているのか、なかなか理解しがたいところがある。
 シーア派とスンナ派との対立、それを背景とするイランとサウジアラビアの対立、トルコとロシアの根深い確執、クルド人の独立を目指す反乱、それらがトルコ軍によるロシア軍機の撃墜、イランとサウジアラビアの断交、ISによる世界各地でのテロとして火を噴き、シリアは混乱の極に達して、何万人もの難民が欧州諸国に押し寄せている。その難民がテロ戦士の供給源ともなっている。
 中東問題の碩学のこの書物はある程度これらの疑問に答えてくれている。
 シリアの内戦はアラブの春に刺激された始まったアサド体制打倒の民主化運動として始まったが、中東を19世紀以来のグレート・ゲームの場として利用し、国際的な影響力を回復しようと企むプーチンのロシアとイランの第二次冷戦的思考による介入によって非常に複雑な様相を呈している。米欧対ロシア・イラン、スンナ派アラブ対シーア派アラブと言った代理戦争はロシアやイランが当事者となることで、複雑な対立構造を持つ構造となり、さらにはISが主役に躍り出たポストモダン型戦争の性格を濃くしている。
しからば、ポストモダン型戦争とは何か。自由や人権を基礎にした市民社会や国民国家を尊重するモダニズムを否定しながらカリフ国家やシャリーアの実現と言うプレモダンの教理を主張するISがジハード=聖戦の名のもとに無差別殺人と市民捕虜殺害を公然と行うテロや武装闘争の形で国境を越えて欧米や中東で既成の権威や権力を転覆しようとする「イスラーム・テロリズム」のことである。
 ISの登場によって混乱を極めるシリアや中東の内乱からヨーロッパにに逃れてきた300万人もの人々は、彼らが経験したことのない表現と政治活動の自由を獲得している。その結果、彼らが今や批判するのは、仇敵ISではなく、彼らを受け入れてくれた西欧の政府と市民だという逆説が生じている。彼らの扱いや市民による「差別」の視線に不満をもつのはイスラームの悲劇と言うほかない。ひとたび自由の世界に逃れて自己主張の権利を手に入れた若者は、容易にISなど、ジハーディストの悪魔のささやきにからめとられて、インターネットやサイバー空間を介して、ISが西欧にテロを広げる遠隔地戦線に投入され、その手駒とされている。 スウェーデンで起こった難民施設職員への刺殺に加えて、ドイツのケルン、ハンブルグ、シュットトガルトで起きた性犯罪や窃盗や暴行は計画的同時犯行ともいわれる。ISは「顔や肌を露出している欧米の女性なら性行為や自由恋愛をムスレムの男性にも許容するはずだ」という勝手な論理で婦女暴行を正当化する論理と言説をイスラームの文脈で提供し、難民に同情的な市民世論に亀裂を入れている。
 西欧世論の批判を人種主義やオリエンタリズムの発露として、植民地主義の清算が先ではないかとも言説が、米欧、日本の専門家や知識人の一部にあるが、それは倒錯した議論であり、問題解決の方向へ導くものではないと思われる。
 イスラームは本来極めて平和的な宗教で、テロリズムとは無縁であるとのイスラーム教徒の弁明を聞くが、しかし、中東、アフリカ、東南アジアなどの本来のイスラーム地域のみならず、欧米でも大規模テロを繰り返す、ジハーディストを産み出す何らかの要素がイスラーム教の教義の中に含まれているに違いない。それを摘出し、正していくことこそが世界のイスラーム教徒全体の責任だと思うが、そのような疑問に対する答えはこの書物には含まれていない。中東の複合危機が火を噴き、第二次冷戦が熱い第三次世界大戦に発展することがないよう祈りたい。
 

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May 06, 2016

「バランスシートで読みとく世界経済史」読後感

Jane Gleeson-White(オーストラリアのジャーナリスト)「バランスシートで読みとく世界経済史」読了。
複式簿記と言うのは、バランス・シート(BS)と損益計算書(PL)の二本立ての計算書を造ることかと思っていたら、原書のタイトルが"Double Entry"となっている処から見ると、毎日の取引を一つ一つ記録する日記帳のデータを仕訳帳に移して記録することを言うらしい。
複式簿記は1430年代にはヴェネチアの商人たちが既に一つの取引を貸方と借方の二つの欄で記録するという複式簿記の仕組みを完成さていたという。
その仕組みを体系化して世界初の簿記の論文「計算及び記録に関する詳説」を1494年に数学全書の一部として発表し「会計の父」と呼ばれるようになったのはイタリア・トスカーナ州のサンセポルクと言う町に生まれたルカ・パチョーリと言う修道士だった。印刷機の発明によって欧州中に広がったパチョーリの人生の集大成ともいえる「算術、幾何、比および比例全書」(スンマ)の中にもヴェネチア式の簿記が含まれているが、大部分はユークリッドの「原論」とフィナボッチ(フィナボッチ数列で有名)の著作から学んだ知識を基にした研究の成果が詰め込まれたインド・アラビア数字と代数学を扱った最初の印刷物であった。このスンマが代数学と複式簿記を広め、欧州の科学と商業に大きく貢献したという。簿記論などはアカデミズムとは程遠い商業学校で教える俗っぽい技術に過ぎないと思っていたが、実に数学の裏付けのある極めて先進的学問であることが分かった。
複式簿記が資本主義の発達を生み、それを国民経済レベルにまで拡大することによってケインズなどの国民経済計算を生みだし、マクロ経済学のか確固たるツールとなったという。
しかしながら、複式簿記の専門職である会計士もエンロンの不正会計を見抜けず、ロイヤル・スコットランド銀行、リーマン・ブラザーズの不正も見逃した。複式簿記もデリヴァティブ取引などには対応しきれていないのかもしれない。
さらに大きな問題は市場で市場価格に基づいて取引されない財サービスは複式簿記の中には含まれない。例えば価値の高い家事労働とか、地球資源・環境と言う外部経済を搾取し、産業廃棄物を外部不経済としてまき散らすなどの行為は複式簿記にも、その応用ある国民所得計算にも算入されていない。例えば2ドルのマック・ハンバーガーはこれらのコストをすべて算入すると百倍の200ドルになるという。
この複式簿記の限界・欠陥を克服すべきだというのが著者の問題意識らしい。
不思議に思ったのは、アラビア数字なしには複式簿記は成り立たないとおもうが、アラビア語は右から左に書くが、数字は左から右へ書いていたのだろうか? 辻褄が合わないように思うが・・・・・・・。
しかしながら、確かに全ての文明の産物は他の文明との邂逅と応答から生まれるという歴史のダイナミズムの一例を見る思いがして、なかなか面白かった。

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May 04, 2016

エマニュエル・トッド『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる―日本人への警告』読後感

全く気が付かなった視点を提供してくれる書物である。ドイツはオーストリア、チェコ、ベネルックス三国からなるドイツ圏を中核に、自主的隷属を選択したフランスとロシア嫌いのポーランド、スウェーデン、バルト三国を従えて、イタリア、スペイン、ギリシャ、ルーマニアを事実上の被支配国として、旧ユーゴ、ウクライナは併合途上にある。
ウクライナ危機も戦争を仕掛けているのはロシアではなく、ドイツだという。ウクライナの4000万人の労働力を活用しようということか?
このドイツが独り勝ちともいえるシステムを生み出したのは、フランスが発明し、ドイツが利用したユーロがその道具となった。国内では極端なディスインフレ政策をとり、給与総額を抑制した。ドイツの平均給与はこの10年間で4.2%低下したという。かくして社会文化的に賃金抑制策などとりえないユーロ圏の他の諸国に対する競争優位を獲得した。ユーロによって平価切下げの道を奪われたユーロ圏ではドイツからの輸出が一方的に伸びる空間が形成された。
ドイツ帝国と言う規律正しく驚異的なエネルギーを生み出す存在によって、ヨーロッパとはドイツ覇権の下で定期的に自殺する大陸として運命づけられていると言う。
フランスではスピード違反の取り締まりがあると、対向車線でヘッドライトを点滅させて、気を付けろと教えてくれる。ところがドイツでは違法駐車をしていると、近所の人が警察を呼ぶ。密告社会的な息苦しさがあるという。日本はどちらと言うとフランス型の軽犯罪コミュニティが主流ではないだろうか? これは救いであると感じた。

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May 03, 2016

前在韓国大使「日韓対立の真相」読後感

著者は1948年生まれ。横浜国大を卒業後、外務省入省。初のコリアン・スクール(韓国語研修を受けた)出身の駐韓大使。
反日感情がますます悪化する中で2010~2012年の2年間駐韓大使を務めた貴重な証言の記録として、思わず膝を打つ箇所も多かった。
この著作の趣旨は「反日を言っているのは朴槿恵(パク・クネ)大統領であり、政治家であり、マスコミであり、非政府組織(NGO)だ」と非難している。ついこの前まで韓国駐在の日本国特命全権大使の任にあった人物が、ここまで任国の現職大統領を罵倒するのは異常で衝撃的だ。これは前に読んだ呉善花女史の「殆ど病的ともいえる国民情緒と言うモンスターに寄り添うことで、大統領の座を手に入れた」と言う見方と一致する。
韓国は、国交正常化した昭和40(1965)年以降の日韓の歴史をまったく隠蔽している。日本が真摯に韓国の発展に協力してきたことを、韓国の人は知らない。こうした歴史をきちんと取り上げることで、日韓のわだかまりが相当なくなる
韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の主張にこだわっている限り、日韓関係の改善はない。韓国政府は、挺対協に何も言えなかった。これではだめだ。日本は、アジア女性基金などを通じ誠意を持って慰安婦問題に取り組んできた事実は全く無視されている。
韓国の反日については「韓国では政治を離れ、国民レベルでは、日本が好きという人がむしろ多いと思う」と話し、「反日を言っているのは朴槿恵(パク・クネ)大統領であり、政治家であり、マスコミであり、非政府組織(NGO)だ」と非難した。
決して韓国人民衆は本音では反日的ではないと言う指摘は小生の数カ月間の長期出張(韓国政府のコンテナターミナル最適立地調査プロジェクトに参加を求められた)の際、ホテルの土産物屋の小母さんや娘さんとの交流経験からも納得できる見方である。
むしろ大使が心配しているのは韓国民の反日感情よりも、日本人の嫌韓感情だという。しかしながら、ああも執拗に事実を大幅に歪曲した慰安婦問題を世界中に告げ口外交を展開したり、ソウルの日本大使館前(これは外交関係を規律するウィーン条約違反)や、米国はじめ世界中に慰安婦像を立てまくったりする嫌がらせを目にすれば嫌韓感情が高まろうというものである。
日本経済何するものぞと好調だった韓国経済もこのところ変調を来しつつあり、経済関係を媒介に日韓関係を改善するきっかけにしようという目論見も一部に主張されている。しかし延世大学校国際学部で教授を務めたことのある武貞秀士拓大特任教授は『アジア金融危機になればドルを融通することはしない。中韓のスワップ協定は韓国のドル枯渇には助けにならない。中国が韓国に供与するのは人民元だから。それでも日本は静観する。友人を助けないというのではない。将来の致命的な日韓摩擦を防止するためだ。金融危機のときに日本が軽々に緊急支援をしたらどうなるか。後に「韓国経済を牛耳るために韓国経済の苦境に乗じて韓国にドルを貸した」と韓国の歴史家が記述するだろう』と言う。一体この厄介な国とどのように付き合って行けばよいのか? 没法子(メーファーズ)。
安倍首相は慰安婦問題の早期妥結には「大使館前の慰安婦像の撤去が最低の条件だ」と伝えたというが、日本に対してはどのような非礼(ウィーン条約違反の慰安婦像建立や天皇に対する李明博大統領の極めて非礼な発言)を犯しても、許されるという甘え(反日無罪)を払しょくしない限り、大使が心配する嫌韓感情は悪化するばかりだろうと心配される。

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March 28, 2016

宇沢弘文東大名誉教授「経済と人間の旅」読後感

前半は2002年3月の日経新聞「私の履歴書」を収録したもの。後半は1971年頃から2002年初めにかけて、都度日経の「やさしい経済教室」に執筆された論文を集めたものである。「やさしい」と言うものの、結構レベルの高い論文で、完全に理解できたとは言いがたい。
しかし、同氏が強調したかったのは、ケインズの経済学が時代の要求に応えられなくなってしまった後、古典派経済学がいびつな形で復活し、市場経済至上の「効率性のみを追求する」数理経済学、合理的期待形成仮説、マネタリズム、サプライサイド重視の経済学などと言う新保守主義のの衣を装った古典派的立場がはびこるようになった。これは私的利潤利潤追求を更に一層正確に押し出して、資本主義的な制度に対する様々な規制を取り除いて、再び大恐慌が起きる条件をつくり出そうとしている。1971年の時点で、リーマン・ショックなどの金融混乱を予言していた慧眼に感服するほかない。
ミルトン・フリードマン、フェルドシュタインなどがその旗手であり、レーガン政権が成立すると、これらの新保守主義の経済学の理論に基づく壮大な実験が行われた。レーガン→サッチャー→中曽根の新保守主義の規制緩和を中心とする経済政策は、竹中平蔵を指南番とする小泉改革の引き継がれ、安倍内閣もその延長線上にあるといえよう。
そのような経済学の危機を招いたのはケインズ理論をIS曲線・LM曲線分析と言う理論に矮小化した新古典派総合の所為だとも論じられているようだが、その辺の論理は本格的に経済学を勉強していない悲しさで完全に理解しえたとは言えない。
何れにしろ、これからの経済学は「人間回復」をそのテーマに据えるべきで、そのためには社会的共通資本の整備を重視しなければならないと言う。社会的共通資本には三つの類型がある。自然環境:森林、河川、湖沼、沿岸湿地帯、海洋、水、土壌、大気など。社会的インフラ:道路、橋、鉄道、上下水道、電力、ガスなど。制度資本:教育、医療、金融、司法、行政など。
また、1983年に文化功労者となり、天皇陛下に謁見した際、「キミ。キミは経済、経済と言うけれども、要するに人間の心が大切だと言いたいんだね」と言うお言葉に電撃的なショックを受けたと言う下りも面白い。昭和天皇の本質を鋭く見抜く力は、ただならぬものであったと言うことだろうか?

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March 18, 2016

神野直彦東大名誉教授『「人間国家」への改革』読後感

神野教授は東大経済学部で財政学を講じておられた。宇沢弘文教授を心から敬愛する直弟子でもある。
経済学を専攻したわけではないので、財政学や、宇沢=神野が導きの星としたドイツの歴史学派に学んだアメリカのヴェブレンなどの制度学派の考え方、それらこそが「資本主義と社会主義という二つの経済体制とを超えて人間の尊厳と魂の自立を可能にする経済体制」をもたらすとする新しい経済学の体系で、近代経済学とマルクス経済学をという二つの潮流を超克し、「人間国家」を構築する原理となりうる学派だということなど全く知らなかった。その意味で大変啓発される書物であった。
近代工業経済の成立によって、それまでの家族経営の生産・生活活動は生産の場と生活の場の分離を来し、政治は所有権と所有権の交換を保護する「交換の正義」を実現する機能を担うことになった。それによって、経済・社会・政治が分離して、三角形の関係が成立した。しかし、まだまだ生活の場としての社会の役割は衰えておらず、大きな役割を担っていた。その段階では「小さな市場」が「大きな社会」を残し、そのため「小さな政府」が可能であった。
ところが第二次産業革命とも言われる重化学工業の時代へと進んで行くと、市場領域がが拡大し、家族や共同体の機能が縮小していき、「大きな市場」が「小さな社会」にしてしまうと、人間の生活を保障する「大きな政府」が必要とならざる得ない。それが「大きな市場」、「小さな社会」、「大きな政府」という「現代社会」=福祉国家(大きな政府による所得再分配機能を担う)が出現する。しかし「大きな政府」による所得再分配と金本位制下の自由貿易とは矛盾する。それぞれの国民国家が社会統合のために、「自分さえ良ければ」という「近隣窮乏化政策」に奔ったからである。
これが第二次大戦という悲劇を産み、その反省から「大きな政府」と両立する国際秩序を目指さざるを得なかった。これがブレトン・ウッズ体制で、金融を社会の「主人」にするのではなく、金融を社会の「従僕」にしようと考えた。つまり、租税負担の高さによって資本逃避が生じてしまうことを抑え込む資本統制が認められていた。こうした資本の自由な移動を統制する障壁の存在こそが「福祉国家」という介入主義に基づく「大きな政府」が機能する前提条件だったのである。
しかし、大量生産、大量消費、福祉国家の「黄金の30年」と称賛される高度経済成長は自然資源多消費の限界から1973年の石油ショックに象徴される行き詰まりに直面し、スタグフレーションに悩まされることになる。
この時期にレーガン、サッチャーの新自由主義が登場し、不況とインフレの共存というスタグフレーションを「大きな政府」の結果と唱え、「大きな市場」をもっと大きく、「大きな政府」を「小さな政府」にという「市場拡大―政府縮小」戦略を掲げた。
この路線の下に資本統制が解除され、金融自由化が推進されると、資本は鳥のごとく自由に国境を越えて飛び回るようになる。これがグローバリゼーションである。それは福祉国家の財源となる高額所得者への課税、法人課税が難しくなることでもある。さらには国際競争力の強化を理由として、国民国家が規制している労働市場の規制が緩和され、賃金の引き下げも激化してしまう。中小企業や農業などの伝統産業も低価格を競い合い、仕事を獲得するための競争が激化し、国際資本の前に平伏せざるを得なくなる。そして「市場拡大―政府縮小」戦略が惹起する過剰な豊かさと過剰な貧困の併存は人間の社会に亀裂を走らせ、人的環境が破壊されるし、更には人間の生存に必要な自然環境をも破壊する。
今こそ「市場拡大―政府縮小」戦略から「市場抑制―社会拡大」に舵を切り替えて「人間国家」を目指して再出発すべきだというのが、この著作のモチーフである。
制度主義を支えている背後理念は「リベラリズムの思想」であり、近代経済学もマルクス経済学も市場経済という「大きな家の中のひと部屋」しか見ていないと批判し、市場経済の枠組みを超えた非市場領域も考察の対象とする必要性を新歴史派は認識していたということであり、国民経済は市場経済と財政という二つの経済が車の両輪とならなければ発展しないということである。
また「シュンペーター的財政赤字」という指摘も面白い。それはシュンペーターは「古き時代が腐臭を放ちながら、新しい時代が痛みを伴いながら生まれていいく歴史の『峠』では、財政が必ず危機に陥る」と指摘した。シュンペーター的赤字というのはTotal Systemとしての社会全体が危機に陥った時に生じる財政赤字ということであり、財政危機は社会全体としての危機の結果に過ぎず、その原因ではない。戦争、内乱などで社会秩序が乱れれば社会防衛、社会秩序の回復のために財政支出が増大するし、不況が深刻化して、経済危機が生じると、財政収入が減少して、結果的に財政危機が生じる。
工業化社会から知識社会へと「歴史の峠」を踏み越えよとしている日本でもシュンペーター的赤字が生じている。この「歴史の峠」では社会的インフラストラクチャーと社会的セーフティネットを張り替えなければならない。それは「学びの社会」としての「知識社会」の構築であり、トリクルダウンよりもトリクルアップの低所得者対策でである。市場経済を暴走を抑制し、財政を活用して、新しい「人間国家」へと舵を切るべき時だということだ。
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は100年ぶりの「レールム・ノヴァルム(Rerum Novarum)」=「新しき事柄」、「革新」という法王回勅を出すにあたって、宇沢先生に諮問され、先生は主題を「社会主義の弊害と資本主義の幻想」とするよう提案されたという。この事実も本書執筆の動機だったようだ。

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March 17, 2016

Joseph Stinglitz「世界に分断と対立を撒き散らす経済の罠」読後感

ノーベル賞経済学者スティグリッツがNYタイムズはじめ新聞や雑誌に寄稿した論文をあつめたもの。
現在アメリカ人の上位1%は毎年国民所得のおよそ1/4を懐にに収めている。所得ではなく資産で見ると、上位1%のは総資産の40%を支配している。今から25年前、上位1%の分け前は所得で12%で、資産で33%だった。格差は著しく広がっている。これは冷徹な資本主義の結果ではない。1%の最上層が自分の都合のいいように市場のルールを歪め、莫大な利益を手にし、その経済力で政治と政策に介入した結果なのだと言う。富裕層は富の力を使ってRentseekingで優位をほしいままにしている。
それは「1%の1%による1%のための政治」が米国の格差を拡大していると言うことだ。1人1票ではなく1ドル1票の金権政治が生み出した格差の拡大が経済や社会の不安定と混乱をもたらし、やがて人々を危機へと導く。米国の現在の経済格差は既に1929年の世界大恐慌当時と同じか、それ以上に大きなものとなっている。経済格差が有効需要の不足を生み出し、不況からの脱出を困難にしていると言う大恐慌の教訓とケインズの処方箋を忘れてしまったのだろうか?
子供は生まれるとき親を選べないのに、貧困の中に育たなければならない宿命を背負わされた子供たちは十分な教育を受けることが出来ず、一生貧困から抜け出せなくなってしまう。努力すれば成功し、金持ちになれるという機会均等のアメリカン・ドリームは今や単なる夢物語に過ぎない。結果の不平等が機会の不平等を生みだし、機会の不平等が結果の不平等となって固定化する悪循環となっている。
このような格差拡大が顕著になってきたのはレーガン政権以来であり、サッチャーの政策もレーガン政策に酷似しており、英国の米国同様に格差が激しくなっている。
所得の累進課税をレーガン以前に戻し、教育、社会インフラへ積極的に投資し、低所得者層対策に意を用いて、所得の再配分を積極的に推進して、既に虚妄であることが証明されつつあるTrickle-down理論よりも、むしろTrickle-upによって、最上層における過剰な富と所得の集中、中間層の空洞化、最下層における貧困の増加を是正しなければならない。それにしても「アメリカが抱く規制緩和への盲目的愛情」にに強い影響を受け、アメリカの二の舞の悲劇へと引き込もうとしている日本の新自由主義者・市場原理主義者にも困ったものだ。

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朴裕河世宗大学教授の「帝国の慰安婦」読後感

 著者朴裕河さんは世宗大学日本文学科教授。韓国の高校卒後慶応大と早稲田で学んだ日本文学を専攻する学者。この著作を読んでみようと思ったのは、「帝国の慰安婦」が、元慰安婦の名誉を毀損したとして、韓国の検察が朴氏を在宅起訴したことについて、日本やアメリカの学者や作家ら54人が11月26日、抗議する声明を発表したことが報道され、関心を掻き立てられたからである。
 声明文には上野千鶴子・東大名誉教授、作家の大江健三郎氏や、1990年代に慰安婦問題の外交交渉に携わった河野洋平・元官房長官と村山富市・元首相らも名を連ねた。「検察庁という公権力が特定の歴史観をもとに学問や言論の自由を封圧する挙に出た」「韓国の憲法が明記している『言論・出版の自由』や『学問・芸術の自由』が侵されつつある」と韓国の司法当局を批判し、日韓の国民感情を刺激し、問題の打開の弊害となることを懸念している。
 注目すべきは、この声明文に名を連ねる人々はむしろ韓国挺対協の支援者と目される人々である。上野千鶴子・東大名誉教授は筋金入りのウーマンリブの闘士だし、大江健三郎は日本の戦争責任を追及し、日本人の主体的戦争責任意識を風化させない運動に深くコミットした左翼の闘士だと右翼からはみなされている。また、村山富市と河野洋平は「アジア女性基金」を創設し、慰安婦問題を解決しようと努力した政治家たちである。韓国の司法当局は産経新聞記者の起訴の場合と同様に、韓国の国民情緒に媚びて、刑事告訴に踏み切ることにより、これらの良心的な支援者たちを敵側に追いやってしまったのではないか? 
 朴氏は2013年、「帝国の慰安婦」を韓国で出版した。慰安婦になった背景や戦地での管理には様々な実態があったと分析し、日韓間の対話による解決を訴えた。2014年に日本でも日本語版が出版されている。
 これに対し、元慰安婦らが2014年6月、「日本軍と同志的な関係にあった」という記述に対し、「虚偽の事実を流布し、名誉を傷つけた」として、朴教授を刑事告訴していた。 元慰安婦らは韓国で著書の出版差し止めも求め、韓国の裁判所はこれを認めた。韓国では、裁判所の決定に従い、内容を一部削除した修正版が出版されていると言う。
 この著作を読んで初めて知ったのだが、韓国の慰安婦問題運動の火に油を注いだのは日本の左翼だったという。この日本の左翼たちの基金反対運動は「基金を国家の戦争犯罪を再び隠ぺいするもの」と見做し、「日本人の主体的戦争責任意識を双葉のうちに摘み取るべく構想されたもの」と考え、「日本政府の姿勢を正していくチャンスが訪れた時期に闘いをあきらめる」ものと捉え、慰安婦問題を<日本社会の改革>に結びつけようとした。かくして日本の支援者たちは単に過去や帝国主義批判にとどまらず、現在の右翼批判にエスカレートしながら、政治闘争の様相を帯びるようになったという。この段階で慰安婦の救済よりも当事者たる慰安婦たちは日本の政治運動の人質になってしまった。
 日本にも強力な支援者がいると錯覚した韓国挺対協らは、帝国と戦争が生み出した慰安婦と言う存在を「女性の普遍的な人権」の問題とのメッセージを国際社会に送ることによって、世界との連帯も成功させ、<道徳的に優位>と言う正統性による<道徳的傲慢>を楽しんできた。「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」と言う傲慢は相手の屈服自体を目指す支配欲望のねじれた形=帝国主義欲望でもある。
 慰安婦問題が帝国主義=植民地支配が生み出したもので、欧米の帝国主義に対する防衛上、止む無く帝国建設に奔った旧帝国(日本)の罪をほかの帝国(オランダ)と提携して、もう一つの旧帝国(米英など欧州諸国)への言いつけ外交を展開し、審判してもらうという世界連帯はアイロニーでしかない。米国の韓国内基地の周辺には慰安婦村が存在するし、ベトナム戦争では米韓とも酷い性暴力を振るったという事実が現存しているにもかかわらずである。
 自分たちのみが「正義を独占している」という傲慢さと執拗さが、日本人一般民衆のみならず、所謂進歩的文化人やいろいろな国家的・政治的制約がある中で、慰安婦問題の解決に誠実に努力した政治家・官僚(彼らは「日本人先祖を卑しめた」と右翼から糾弾されている)をも敵方に追いやってしまったのではないか?
 日米の学者や作家ら54人の下記の声明は、韓国挺対協とそれを日本側から煽り立てた支援者たちの運動が失敗であったことを雄弁に物語っている。運動の目的は出来る限り味方=賛同者を増やすことであったとしたら、この運動は失敗であったと言うほかない。それは日本の普通の人たちの間に嫌韓派を増加させた。韓国への日本人観光客が激減しているのはその現れである。
 一読に値する著作であると考える。

 付録 【日米学者作家の声明文】
『帝国の慰安婦』の著者である朴裕河氏をソウル東部検察庁が「名誉毀損罪」で起訴したことに、私たちは強い驚きと深い憂慮の念を禁じえません。昨年11月に日本でも刊行された『帝国の慰安婦』には、「従軍慰安婦問題」について一面的な見方を排し、その多様性を示すことで事態の複雑さと背景の奥行きをとらえ、真の解決の可能性を探ろうという強いメッセージが込められていたと判断するからです。

検察庁の起訴文は同書の韓国語版について「虚偽の事実」を記していると断じ、その具体例を列挙していますが、それは朴氏の意図を虚心に理解しようとせず、予断と誤解に基づいて下された判断だと考えざるを得ません。何よりも、この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思えず、むしろ慰安婦の方々の哀しみの深さと複雑さが、韓国民のみならず日本の読者にも伝わったと感じています。

そもそも「慰安婦問題」は、日本と韓国の両国民が、過去の歴史をふり返り、旧帝国日本の責任がどこまで追及されるべきかについての共通理解に達することによって、はじめて解決が見いだせるはずです。その点、朴裕河氏は「帝国主義による女性蔑視」と「植民地支配がもたらした差別」の両面を掘り下げ、これまでの論議に深みを与えました。

慰安婦が戦地において日本軍兵士と感情をともにすることがあったことや、募集に介在した朝鮮人を含む業者らの責任なども同書が指摘したことに、韓国だけでなく日本国内からも異論があるのは事実です。しかし、同書は植民地支配によってそうした状況をつくり出した帝国日本の根源的な責任を鋭く突いており、慰安婦問題に背を向けようとする日本の一部論調に与するものでは全くありません。また、さまざまな異論も含めて慰安婦問題への関心と議論を喚起した意味でも、同書は大きな意義をもちました。

起訴文が朴氏の「誤り」の根拠として「河野談話」を引き合いに出していることにも、強い疑問を感じざるを得ません。同書は河野談話を厳密に読み込み、これを高く評価しつつ、談話に基づいた問題解決を訴えているからに他なりません。

同書の日本版はこの秋、日本で「アジア太平洋賞」の特別賞と、「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」を相次いで受賞しました。それはまさに「慰安婦問題」をめぐる議論の深化に、新たな一歩を踏み出したことが高く評価されたからです。

昨年来、この本が韓国で名誉毀損の民事裁判にさらされていることに私たちは憂慮の目を向けてきましたが、今回さらに大きな衝撃を受けたのは、検察庁という公権力が特定の歴史観をもとに学問や言論の自由を封圧する挙に出たからです。何を事実として認定し、いかに歴史を解釈するかは学問の自由にかかわる問題です。特定の個人を誹謗したり、暴力を扇動したりするようなものは別として、言論に対しては言論で対抗すべきであり、学問の場に公権力が踏み込むべきでないのは、近代民主主義の基本原理ではないでしょうか。なぜなら学問や言論の活発な展開こそ、健全な世論の形成に大事な材料を提供し、社会に滋養を与えるものだからです。

韓国は、政治行動だけでなく学問や言論が力によって厳しく統制された独裁の時代をくぐり抜け、自力で民主化を成し遂げ、定着させた稀有の国です。私たちはそうした韓国社会の力に深い敬意を抱いてきました。しかし、いま、韓国の憲法が明記している「言論・出版の自由」や「学問・芸術の自由」が侵されつつあるのを憂慮せざるをえません。また、日韓両国がようやく慰安婦問題をめぐる解決の糸口を見出そうとしているとき、この起訴が両国民の感情を不必要に刺激しあい、問題の打開を阻害する要因となることも危ぶまれます。

今回の起訴をきっかけにして、韓国の健全な世論がふたたび動き出すことを、強く期待したいと思います。日本の民主主義もいま多くの問題にさらされていますが、日韓の市民社会が共鳴し合うことによって、お互いの民主主義、そして自由な議論を尊重する空気を永久に持続させることを願ってやみません。

今回の起訴に対しては、民主主義の常識と良識に恥じない裁判所の判断を強く求めるとともに、両国の言論空間における議論の活発化を切に望むものです。

2015年11月26日

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March 04, 2016

「香港―中国と向き合う自由都市」読後感

最近、倉田徹立教大准教授・張Yuk Man香港中文大講師「香港―中国と向き合う自由都市」を読み終えた。
香港には多分1973年、最初に足を踏み入れて以来、数回訪れたことがあるが、最初は九龍半島側は1997年までの99年間の租借地だが、香港島のほうは英国に割譲された植民地で、条約上は何時までも英国領のままにしておくことは可能だが、対岸の九龍半島と一体になって、有機的に経済社会が形成されているのだから(水、エネルギーや生活物資の供給など、慶徳空港も九龍側であった))、99年の租借期間満了後も、英国が香港島植民地を保持し続けることはできないのではないか言う問題意識しかない時期だった。
1984年12月に中英交渉がまとまり、1997年7月1日の香港返還が決まった。一国二制度が合意され、50年間は香港の現行体制・高度の自治が維持されるとの合意はあるものの、それは単なるモラトリアムに過ぎず、早晩共産党政権が全政府部門を制御し、地民軍が闊歩し、公平な法治よりも腐敗や政治的なコネがものを言うようになり、国際的な商業・金融のハブとしての役割はなくなる。街は西欧的清潔的さを失い、間違いなく汚くなるだろうと誰もが思ったに違いない。
植民地時代のイギリスによる支配は典型的な植民地統治のシステムで宗主国が強権をふるう独裁体制であったが、圧倒的多数を占める華人社会へ干渉を避け、政治化を避けることで安定を保とうとした。その自律的な官僚統治によって、香港の政治は脱イデオロギー化し、経済の繁栄と社会の安定が優先された。
植民地統治は強権的統治でであるが、強力な権力が存在するからこそ、放任された社会にも一定の秩序が保たれ、それによって自由な空間が出現した。大陸からの避難民たちは情報の自由を用い、命を繋ぐための仕事を見つけ、「生存する自由」が与えられた。さらに難民たちは「儲ける自由」を使った。それは英国人が育てた香港の自由貿易港制度や、国際ネットワーク、法制度、金融システムによって支えられた。わずかな資本、友人・親戚からの支援があれば、人々は様々な商売を行って、瞬く間に富を蓄えるチャンスがあった。
2014年秋、中国政府による勝手な解釈改憲で2017年の行政長官改選にあたって、新北京派のみを予め候補者として選ぶニセ普通選挙を実施すること決めたことに対して、香港市民の多数を巻き込み、長期間香港主要地区を占拠する雨傘運動デモに発展した。このような生活に根ざした「自己決定の自由」に慣れ親しんだ香港人にとって、2012年の愛国教育運動=国民洗脳教育の続く、ニセ普選による行政長官選出は香港の「自己決定の自由」が侵害されると感じたのであろう。それにしても徹底的に無抵抗主義を貫き、占拠地にむしろ牧歌的な生活空間を作り出したという運動は、悲壮感がなく、大多数の香港市民の共感を勝ち取って、香港官憲もその裏にいる中国共産党も手を出せなったという事態の推移には注目される。犠牲者を出した1980年の韓国の光州事件や1989年の天安門事件などとは違う抗議活動を楽しむ明るさに驚嘆した。「中国と向き合う自由都市:香港」の強かさに喝采である。

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February 28, 2016

「新・韓国現代史」読後感―韓国の挺対協は停滞協か?

 筆者は在日韓国人二世、法政大学文学部から中央大学法学部に学士入学し、法政大の大学院を出た政治学、韓国政治史専攻の学者。
 最近朴槿恵大統領の執拗な謝罪要求や言いつけ外交で日本の世論で嫌韓論が渦巻く中、半ば当事者である在日韓国人学者がどう考えているかに関心があったので、この書物を手にしたが、いろいろと知らない事実もあり、それなりに面白かった。しかし学者としては19世紀のヨーロッパ帝国主義勢力東漸の脅威にどう立ち向かうべきかについて、幕末以来の日本が如何に苦悩し、格闘したか、その時中国や韓国がどう対応したかについての長い歴史的なPerspectiveに立った、学者らしい分析、即ち当時の極東の国際政治情勢の中にあって、日本にどういう選択肢があったか、韓国は如何行動しえたか、如何行動すべきだったか、についての考察を加えることなく、更には「日本の韓国に対する植民地支配は、千万多幸であり、呪詛するよりもむしろ祝福」だと書いた韓昇助高麗大名誉教授の論文や安乘直ニューライト財団理事長の慰安婦問題についての「強制動員された一部慰安婦経験者の証言はあるが、韓日両国にはどこにも客観的な資料はない」と言う言説が何故韓国内にも存在するかを分析することなく、歴史認識の逆流、Backlashと切り捨てるのは学者らしくないと残念に思った。
しかし、徳川時代の朝鮮通信使を介しての親善関係について、朝鮮との秀吉の朝鮮侵略の戦後処理にあたって、徳川政権は「大君号」の設定などの改革を断行し、これを朝鮮側に承認させた。この大君号の設定によって、朝鮮国王は徳川将軍と対等でありながら、将軍の上に天皇を置くことによって、幕藩体制国家全体として朝鮮の上に置くことを意味したという指摘。天皇の存在が19世紀半ば欧米からの未知の脅威に対抗しなければならなくなった際、日本の優位性の拠り所となり、尊王攘夷論が幕藩体制の身分秩序を打破することになったという指摘は面白い。
 それにしても韓国は第二次大戦の戦後処理にあたって、東西冷戦の最前線に置かれ、1947年の3.1済州島島発砲事件.1950年の朝鮮戦争、1980年の光州事件などの業火に焼かれ、それでも学生や労働者がデモや街頭運動を繰り返して、民主化を勝ち取っていった歴史は感動的である。文教授からすれば、その到達点が廬武鉉政権であり、そこでHappy Endとなるはずだったのに(前著:韓国現代史はそう言うハッピーエンド物語だったようだ)、はからずも歴史の逆流に遭遇して、「新・韓国現代史」を書かなければならないのは残念と言う結論だろうか?
 この本を読み終えた後、2/16の朝日に小倉紀蔵京大教授(東大文ドイツ語科→電通→ソウル大院→東海大→京大)の「慰安婦問題の明日」というインタービュー記事が出た。「政治的解決の合意、対立や摩擦を含め日韓共通の財産」だ捉え、「慰安婦の支援―多様な歴史観包摂する努力を」と言う提言であり、前向きな提言だと思った。
「戦時の女性の人権蹂躙と言うのは日本だけではなく、米欧も抱えている問題。パンドラの箱を開けまいと避けて来た。日韓の今回の合意で二度とこんなことが起きないように一緒にやって行こうということで、日韓がリードしている。」安倍首相の談話「21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることことのない世紀とするため、世界をリードしていく」と言うのはその伏線であった。
 韓国には支配国・日本に抵抗した勢力に正統性があるが、それを断ち切って、日本と妥協し、国交を結んだのは朴槿恵大統領の父、朴正熙元大統領だったという歴史観が強く残っている。娘の朴大統領はそのコンプレックスから逃れようと日本に「正しい歴史認識を」と迫ってきたのに、よく決断したものである。それだけ北朝鮮の脅威が差し迫っていると感じたのか、それとも米国に「中国とつるんで慰安婦問題に何時まで拘っているのだ」と二股外交を弾劾され、その解決をせっつかれたせいだろうか?
 韓国が作る「慰安婦支援財団」も、ある一つの考え方で仕切るのではなく、認識の幅を広げる必要がある。特定のナショナリズムに支配されない多様な歴史観を包摂できるかがカギである。日本の保守派であっても、事実に基づく研究をしている人ならば意見を聞くべきである。『20万人の強制連行』とか『奴隷狩り』などと言う認識だけが独り歩きし、それを認めない人はみんな歴史修正主義者であるかのようなレッテルを張り付けるこの本の著者:文京洙教授の見解は学者の意見と言うよりも挺対協の主張を無批判に反芻するただのデマゴーグと言うべきではないか? 挺対協はむしろ停滞協と改称すべきではないか?

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