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October 08, 2018

日本人ノーベル賞受賞大量生産の秘密:日本語

またまた本庶佑京大特任教授がノーベル賞を受賞しました。まことにお目出度いことです。
 それにしても、毎年恒例のロンドン・タイムスの関係機関による世界大学ランキングによると、日本の大学はシンガポール大、北京大、香港大の遥か後塵を拝し、京大は東大にのはるか後方にあります。
 このノーベル賞受賞者ランキングと世界大学ランキングの格差は何処からくるのか?との疑問に付きまとわれます。また再びこの疑問に見舞われましたが、大分前に「日本語の科学が世界を変える」と言う書物を読んだのを思い出しました。その著者によると日本語で科学の思考を進めるところにノーベル賞大量生産の秘密のあるのだと指摘してます。
 また同じ日本語の優れている点を分析した書物に鈴木孝夫慶応大名誉教授「日本語教のすすめ」があります。この本を読んで考えたのは、日本語は知的エリートと一般民衆との格差・亀裂が生じにくい極めて民主的な言語特性を備えているため、日本ではトランプ現象(トランプを熱狂的に支持する高卒以下の白人大衆とトランプに拒絶反応を示す高学歴層の亀裂・対立)や欧米のようなPopulismの猖獗を辛うじて免れるのではないかとかすかな希望を見出しました。楽観的過ぎるでしょうか?

【松尾義之「日本語の科学が世界を変える」読後感】

著者は国立高→東京農工大工学部→日経サイエンス編集部→ネイチャー・ダイジェスト誌編集長を務めた科学ジャーナリスト。
なかなか面白い着眼の書物である。
21世紀に入ってから、日本はほぼ毎年1名の割合で、ノーベル賞受賞者を輩出しているのは何故かと問いかけ、「それは日本語で科学しているからではないか」との仮説を証明しようとしている。「日本語は非論理的」「日本語は科学に適していない」と言う妄説は米国に次ぐノーベル賞受賞者を量産しているという事実の前に説得力を失ってしまった。
むしろ江戸時代の蘭学から、西周など明治の先達が心血を削って、科学用語のみならず、法律用語など近代西欧の学術用語を日本語に置き換えるという大事業を成し遂げてくれたおかげで、母国語=日本語で科学ができる世界でもまれな国を作り上げることができた。漢字表記は英語の学術用語とは異なり、本質が直感的に理解できる。英語の準公用語化などはナンセンスだと喝破している。アイデンティティのないグローバル化など百害あって一利なしだと。それよりも国語教育、科学教育の充実のほうがはるかに先であると主張する。明治の先達の努力に感謝である。むしろ日本語を媒体とする日本人の思考方法、即ちヨーロッパの言語ののように善悪、正反、正邪を二律背反的に明確の区別する思考法とは違い、中間に真理があると言う中庸の感覚が湯川博士の中間子理論や木村資生博士の「分子進化の中立説」などは日本語の思考方法が生み出したのでないかと言う。
しかし、日本人は世界で一番多くの文字種を使っている。漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット、アラビア数字、時計数字など6種もの文字種を使いこなしている。そのため有識者の間でローマ字表記論者が沢山いた。しかしこの難点は東芝の森健一博士が1978年に「日本語ワードプロセッサー」を開発されたことにこの問題点は完全に解決された。これは日本の文字文化に革命を起こした。その結果異文化を取り入れる許容度が非常に大きいと言う日本民族の特徴が損なわれることなく、、世界で最も多種類の文字を日常的使える状態となっている。この日本語ワードプロセッサーに技術は、中国の漢字体系のみならず、アジアの国々の文字やコンピュータ処理に流用されているという。世界貢献であるという点でも日本語ワープロの世界に誇ってい良い大発明で、ノーベル平和賞が何故授与されないのか不思議だという。
韓国は全面的ハングル化を進めたため、元の漢字熟語の読みが同じ場合、同じ表記になってしまい、行き違いが生じ、ましてや微妙なニュアンスの伝達など望むべくもないという。彼らの誇る李朝朝鮮の歴史書や古文書を読める人が殆どいなくなってしまったと言う。それが発想力の枯渇を生み韓国からノーベル賞受賞者が出ないという理由だと言えば、牽強付会が過ぎるだろうか?
何れにしろ、「この国に生まれてきて良かった」と思えるような国にすることが、国家の目標だとすれば、あらゆる学問・教育が世界水準で受けられる日本に生まれてよかった樋のが正直な感想である。

【鈴木孝夫慶応大名誉教授「日本語教のすすめ」読後感】

 京大法の同級生:宮垣弘兄がFBに投稿した紹介記事に触発されて、この書物を手にした。宮垣兄はアイルランドを縦断徒歩旅行した行動派であるだけでなく、法学部出身者の関心が偏りがちな政治、経済など社会科学の分野に留まることなく、漢籍やシェークスピアなどにも造詣が深い一流の文化人である。

<日本語は大言語>
 鈴木教授の専攻は「言語社会学」。そのようなジャンルの学問があるのは不覚にもこれまで知らなかった。教授の説くところによると、世界67億を超える人類が約6000種もの言語を使って生活している。その6000種の言語の内1億を超える大言語は10前後しかない。人口が1億2700万人である日本はすべて日本語使用者であるから、日本語は世界6000種言語の中でも10番前後を占める大言語である。

<日本語に敬意を払わない日本人―日本語放棄論>
 しかし、日本人はこともあろうに「日本語は人間の言語としては出来の悪い欠陥言語であるから、これを捨ててもっと効率の良い西洋言語を国語として採用しなければ、世界の文明から取り残される」と言い続けてきた。古くは森有礼文相の「英語為邦語之論」があり、戦後は文豪志賀直哉が「国語をフランス語にせよ」と主張した。また尾崎咢堂と言う大政治家は日本語廃止運動を展開した。日本語廃止論まで行かなくても、「非能率な漢字廃止論」→「カナ文字論」→「ローマ字表記論」は多い。我々が就職したころの伊藤忠では社内文書がカナ文字タイプを使用してのカナ文字表記を実践していたように記憶している。
 ゼミの猪木正道教授も「ソ連のキリル文字も標準ローマ字表記に変更しようと思えば一夜にしてできる。ロシア語をローマ字表記にしなければ、ソ連の後進性は脱却できないし、真の近代化も難しい。日本語も同じだ」と漏らされた記憶がある。得てして外国語に堪能が学者・文化人は日本語への愛着がなかったようだ。

<日本語はテレビ型言語>
 日本語の特徴は音韻(音素)が少ないことである。英語、ドイツ語、フランス語、の音韻の総数がそれぞれ45、39、36もあるのに、日本語では23しかない。これが音声から見た日本語の最大の欠点である。音韻と音韻を組み合わせ方まで限られてしまう。日本語は基本的に母音のみか、母音+子音の組み合わせしかできない。したがって日本語には同音語がやたらに多い。工業、鉱業、興行、興業、功業、或いは紅葉、黄葉、広葉、硬葉など、音だけでは区別できない。
 しかし、日本人はある言葉を聞いたとき、無意識にその言葉がどのような文字で書かれているかを思い浮かべている。その意味で日本語は音声が全てのラジオ型言語でなく、音が等しい言葉がどのような文字で書かれているかを思い浮かべている。同音語の中から幾つかの漢字を思い出して、目下の話の内容に一番適合する漢字を正解として選んで、話を理解している。水星なのか、彗星なのか。日本語は複雑で、高級な仕組みを持ったテレビ型言語なのである。目と言う機関は耳よりも何百倍も優れた情報解読力を持っている。

<漢字訓読みと民主的言語としての日本語>
 外国人の本語を習う際、戸惑わせることの一つに漢字の音訓二重読みがある。「同じ文字に何故異なる読み方があるのか」と。それは日本が古代中国の数ある朝貢国の一つでありながら、地続きでない唯一の国であったため、長期の直接支配を免れたのみならず、短期の武力侵略すらも僅か二度の元寇だけで済んだ。長期に直接支配された場合、その国の運営は外来の支配者によって彼らの言語によって行われる。そのため被支配国の要人や指導者は支配者相手に支配者の言語を日々学び、実際に使う立場にたたされる。
 日本は直接支配下に入らなかったため、国内には中国人は殆どいなかった。そこには日本から隋唐に渡った少数の役人や学者、留学僧などが現地で中国語を苦労して学んで日本に帰って来て、彼らの持ち帰った中国語の文献や新知識を周りのの人に広めるには、漢字一つ一つを書いた上で、発音して見せ、その意味するところを日本語で説明しなければならなかった。例えば「水」と言う字を書いて、「スイ」と発音して見せ、これは日本語の「みず」のことだという具合だ。
 例えば、人類学に「猿人」と言う言葉がある。自動車のエンジンのことかと戸惑う使途がいるかもしれない。しかし大抵の場合は状況判断からTV言語機能を働かせて、それが「猿人」ではないかと想像を働かせる。「猿人」と言う字を見れば訓示読み的に猿と人が合体した「サルみたいな人」と中身が想像できてしまう。
 ところが英語だとそうはいかない。英語では猿人のことをpithecanthropeと言うが、米国のイェール大学の文科系の数十人の大学院生、教授を前にして黒板にこの単語を書いて、聞いてみたが。正解者は一人もいなかったという。また一般人でanthropologyが人類学と言う学問であることがわかる人は殆どいない。しかし、日本では中学生でも人類学と言う言葉を聞けば、およそどのような内容の学問であるか見当をつけられる。葉緑素もそうだ。日本人は「は、みどり、もと」とこの専門用語を身近な言葉につなげることで見当をつけることが出来るが、英語のchlorophyllはギリシャ語の素養がない一般人にはチンプンカンプンである。
 日本語は音訓二重読みのお陰で、一般民衆が専門用語に容易にアクセスできる世界ではまれに見る民主的な言語造り上げたのだ。そのため英米での新聞や雑誌などは少数のインテリを念頭に置いた高級紙と、一般大衆むけの大衆紙と言う際然たる格差がある。日本では国民の全てを読者とする全国紙がいくつもある。

<日本教のすすめ>
 鈴木教授は日本語教と言う新興宗教を興された。教祖は教授、信者は多くないそうである。日本は一時ほどの輝きを失ったとは言え、未だに世界第3位の経済大国で、大きな影響力を持っているはずなのに世界に向かっての言語コミュニケーション力が極端に不足しているために損をしている。日本に対する国際的悪口は「口の痺れた巨人」「声を出さない巨象」、そして意見は言わないけれど金だけは直ぐ出す「自動金銭支払い機」など。強大な経済力、言語交渉能力=言力外交は見劣りがする。それまで外国に一切迷惑をかけない国にあり方である鎖国から欧米諸国から無理やり出されて以来、急速に諸外国との直接の接触が急速に増えたが、言葉で未知の相手との関係を巧く処理する伝統が極めて弱かったので、第二次大戦終結まで常に戦争や敵対関係に陥ってしまったのではないか?
 それは日本人が外国語を専ら優れた先進外国文明を取り入れるための一方通行のツールとしてしか考えなかったからで、日本には優れたもの、学ぶべきものが沢山あることに気付き始めた外国人にとって、日本は、いわば暗号で書かれた分厚い本のようなもので、何か面白そうなことが一杯書いてあるようだが日本語と言う暗号の分からない解読できない。そこで日本人は自分たちの手で日本と言う魅力あふれる国を、日本語の分かる人を増やすことによって、世界に開く必要がある。日本語が世界の知識人層の中でごく普通に学ばれる言語であって、日本語の新聞雑誌や各種の書籍が諸外国でどんどん読まれていれば、日本と諸外国との間に何かと生まれる誤解や摩擦は遥かに減少するはずである。   
 それ以前にもこれまで日本語から外国語への翻訳の仕事は、少数の日本語の堪能な外国人の手のよるものであったが、ここに多くの日本人を投入して、大量の日本語文献をを外国語に翻訳して国外に送り出すことで、新しい知識輸出産業の地位まで高めるべきである。日本人の言葉による活動が、これまで外部世界に知られてなかった面白い考えや新事実を世界に広めれば、それだけ世界の人々の持つ知的財産の山をそれだけ高くすることに貢献することになる。
 小生も「日本語教」の信徒になりたくなった。

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Posted by: 1Barret1Skege | September 18, 2019 10:15 AM

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