白石隆政策研究大学院大学長「海洋アジアvs.大陸アジア」読後感
1992年に日本経済研究センターが発表した世界経済予測がある。それによると1990年現在の世界のGDPの地域別シェアは
1990年 2010年(予測) 2010年(実際) 2018年(予測)
南北アメリカ 29.0% → 26.0% 25.9% 24.9%
アメリカ 26.7% → 23.4% 23.4% 22.3%
欧州 32.9% → 28.7% 25.6% 23.3%
アジア・大洋州 20.9% → 29.4% 28.8% 32.2%
日本 12.7% → 17.5% 8.6% 6.1%
中国 1.6% → 2.6% 9.3% 14.2%
であり、これを踏まえ、当時の日本人は「東アジアは近代世界経済史の檜舞台に今初めて登場しようとしている」と興奮し、その主役は日本であると考え、自信を抱ていた。
この予測は趨勢的には間違ってはいない。G7に代表される先進国の地盤が沈下し、新興国が台頭した。つまり、北アメリカ、欧州の地盤沈下とアジア・太平洋の台頭である。ただし、アジア太平洋で伸びたのは日本ではなく、中国だった。
改革開放政策で中国の経済成長への道を切り開いた鄧小平はソ連崩壊時に「これからは中国が社会主義陣営の盟主になるべきだ」との党内の議論を抑え、「今の中国にはそんな力はない。中国は力を蓄えることに専念する」と言う戦略的選択(「韜光養晦」路線)したが、この予想外の中国の躍進によって、取り敢えず棚上げした大国主義ナショナリズム「中華民族復興の偉大なる夢」実現の為に次々と手を打つようになった。これがアジア・太平洋地域の戦略・安全保障を大きく揺さぶるようになった。
中国は「九段線」で、南シナ海のほぼ全域を領海と主張し、この海域の島嶼・岩礁の領有権を主張するベトナム、フィリッピン、マレーシア、ブルネイと対立している。またナトウナ諸島周辺の排他的経済水域についてはインドネシアとも対立している。これらの国はそのつい沖合まで中国の領海だと主張されては我慢できないだろう。また東シナ海では尖閣諸島の経済水域・領海を中国の公船が毎日出没・航行している。
その結果、南シナ海の領有権問題で中国と対立するフィリピン、ベトナム、インドネシアなどをますますアメリカ、日本、オーストラリア、インドなどの連携に追いやってしまった。いまASEAN諸国の大陸部東南アジアと島嶼部東南アジアでは安全保障、経済発展、などにおいて大きく課題が異なりつつある。大陸部東南アジアにはベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマーがあり、中国の影響が大きくなり、中国周辺の国々である。一方、島嶼部東南アジアはフィリピン、インドネシア、シンガポール、マレーシア、ブルネイで、これらの国々は、太平洋からインド洋にわたる広大な地域において、日本、台湾、フィリピン、インドネシア、インドとユーラシア大陸を囲むように並んでおり、またインドネシアからオーストラリアの島々と縦に繋がり全体として、ちょうどT字のかたちで、インド・太平洋の「背骨」を形成している。その骨格をなすのは日米同盟、米豪同盟を基軸とするハブとスポークスの地域的な安全保障システムである。
現在のアメリカ中心の国際秩序の基本は主権国家システムで、主権国家間の合意によって条約が締結され、その長期にわたる相互作用の中で、規範、慣行が生まれ、それらを基盤に国際秩序が組み立てられている。これに対して中国の論者は「天下」秩序で国際関係を再構成しようとしているように見える。それは南宋、元、明、清の時代にあった朝貢システムを復活させ、21世紀型の朝貢システムを「天下」の秩序の基盤としようとしているようにみえる。主権国家の形式的平等と自由、公平、透明性の原則が広く受け入れられている国際社会において、中国の台頭によって、それがラディカルに再編され、形式的不平等と序列(ヒエラルキー)を一般原則とする21世紀型朝貢システムが復活することがありうるのだろうか?
朝貢を迫る中国の元使を鎌倉政府は斬首したし、秀吉は明使を追い返した。上ビルマの王も元使を処刑した。仮に中国が「自分たちは大国だ」と思っても、他の国々が「だから、なんだ」と考えているところでは、天下の秩序は結局大国主義と札束外交に堕してしまう。2010年ハノイでのARF会合で南シナ海の行動を非難された中国の楊外相は「小国がなにを言うか、中国はここにいるどの国よりも大きい」と言った。また、中国政府は李克強首相とエリザベス女王との会見を要求し、2.4兆円規模の商談をまとめたという。そこに見えるのは「我々は大国だ、小国は黙っていろ、黙って、我々の言うことを聞けば、所詮、金目だ、そこを面倒見てやる」と言うことであろう。しかし、こういう大国主義と札束外交では中国中心の国際秩序は作れない。「所詮、金目でしょう」と思っていると、結局、金の切目が縁の切れ目になってしまう。中国の外交・安全保障戦略は極めて狭い国益観念に根差した、近視眼的なものでしかない。そういう自己中心的な近視眼的な行動が世界システムを混乱に陥れ。年々それが激しくなっている。中国と国境を接し、生殺与奪の権を握られているベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーの大陸部東南アジアと従えることはできても、島嶼部東南アジアの共感は得られないであろう。
しからば日本のGrand Strategyは如何描けばよいのか? 戦後日本の繁栄を支えてきたものは国際的には「アメリカの平和」「ドル本位・WTO通商体制」であり、国内的には「自由民主主義」「市場経済」であったのは疑う余地がない。中国が「富国強軍」の論理的帰結として、「アメリカの平和」に正面から挑戦するようになれば、日本としてもこれに対応せざる得ないであろう。「自分だけよければ」といって、「虫の良い生き方」を続けるのではなく、戦後日本がその下で平和と安定と繁栄を享受して来た自由主義的国際秩序を守り、発展させるのに応分の寄与ををすべきであり、そういう合意ができつつある。と言うのが本書の結論である。
吉田ドクトリンを提唱し、戦後日本のGrand Strategyを描いた吉田茂首相は1960年代にこのドクトリンに疑問を抱くようになったという。「世界の一流に伍するに至った独立国家日本」が「自己防衛」において、何時までも「他国依存が改まらないこと」「「国連の一員としてその恵沢を期待しながら、国連の平和維持活動の機構に対しては、手を貸そうとしない」こと、これは「身勝手の沙汰、所謂虫のよい生き方とせねばなるまい」と言っていたという。これは初耳であった。
東南アジア各国の各論では、「インドネシアの民主主義が4年間、毎年のように憲法を改正し、「弱い大統領」と「強い議会」を特徴とする大統領制民主主義ができあがり、民主化が定着しようとしている。また、地方自治、地方首長公選制も導入され、中央政府から34%もの一般分配金が交付され、地方自治が強化され、しかも地方自治体の新設が非常に容易になったこともあって、多民族国家インドネシアの民族アイデンティティ問題が地方政治に封じ込められるようなり、マルク、ポソの宗教紛争、アチェの内戦などもうまく地方に封じ込めることに成功したという。これも初耳である。
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