« 日本海軍は何故過ったか―海軍反省会四〇〇時間の証言より」読後感 | Main | 白石隆政策研究大学院大学長「海洋アジアvs.大陸アジア」読後感 »

December 13, 2016

エドワード・ルトワック「中国4.0―暴走する中国」読後感

 本書のテーマは中国の対外戦略の分析と、それに対して日本のとるべき政策の提言である。その手法は「戦略論の逆説的論理」を鮮やかに駆使したものである。
 
<戦略的に成功したChina1.0>
 1987年に毛沢東がなくなり、建国→文革と吹き荒れた恐怖政治が終わり、鄧小平が経済を開放したが、1989年に天安門事件を引き起こした。その鄧小平も1997年に死んで、中国は2000年代に入り、とうとうChina1.0とも言うべき新しい姿で国際社会に登場した。これが平和的台頭である。
 この平和的台頭に込められていた北京のメッセージは非常に明確なものであった。それは「中国はさらに豊かになり、さらに近代化し、その経済規模は日本を越えて、何時の日にかアメリカに迫る」というものであった。
 ところが同時に別のメッセージも込められていた。それは「どの国も中国経済の台頭を恐れたり、反発したりする必要はない。何故なら中国の台頭は完全に平和的なものであり、既存の権力構造を変化させず、国際ルールにも従うからだ」。諸外国に独自の経済ルールを押し付けるようなことは考えておらず、GATTにも参加するし、国際法も順守する。私有財産権や知的財産権、著作権などを定めた国際法にも従うとした。

<China2.0 ―対外強硬路線への転換>
 このChina1.0は鄧小平の遺訓:爪を隠し、才能を覆い隠し、時期を待つ戦術「韜光養晦」路線に従ったものだが、2009年1月に米国から戦後最大の国際金融危機が発生し、世界経済の構造が変化し始めた。それを見て中国人は舞い上がってしまった。中国が経済力で世界一になるのは「25年かかる」と思われていたのが、「あと10年しかかからない」と思い込んでしまった。そして三つの大きな間違いを犯してしまった。
①第一の錯誤―「金は力なり」
 まず、経済力と国力の関係を見誤った。「小国のところまで出向いて行って金を渡せば、相手は黙る」と言う勘違いである。「経済の規模と国力との間にはリニアな関係性がある」と思い込んだ。しかし、歴史の事実はそれほど単純ではない。
 例えば英国の経済的なピークは1860年代であったと言われ、1890年代までにはその優位をほぼ失っていた。しかし英国は二つの世界大戦で勝者となった。経済力と国力の間には「先行」と「遅れ」が存在する。英国は1890年代に既に経済力を落とし始めていたが、1945年、更には1970年代まで絶対的な影響力を誇っていた。
 豊富に資金を与えることによってミャンマーは黙るはず、アメリカも日本も中国の大規模なマーケットをちらつかせれば態度を変えるだろうと見誤っている。
 リーマンショックは世界経済の大惨事であっても、中国が先進国のレベルに追い付くには今後50年以上かかる。中国がアメリカの軍事的レベルに追い付くには最速でも20年はかかる。
②第二の錯誤―線的な予測
 2008年に米国経済が急降下して、その状態が2009年まで続いたため、中国のリーダーたちが経済学入門コースの学生のような間違いを犯してしまった。その間違いとは線的予測(linear Projection)である。リーマンショック当時の予測は2008年から2018年まで「アメリカ経済成長率低下続き、中国の経済成長の高止まりが続く」というものであった。線的予測には二つの特徴がある。その結末が簡単に予測しやすい。しかし、ローマ帝国が誕生して以来、経済活動では全く同じ状態が5年から7年続くということはなかった。
 そのような錯覚を抱かしめたのはゴールドマンサックスなどの金融企業である。BRICSという幻想もその一環である。それはセールス・トークであり、これらの国々への投資案件を積極的売り込む手段であったに過ぎない。その結果、初心な中国人に”China up,US down"と言う幻想を抱かせてしまった。
③第三の錯誤―大国は二国間関係をもてない
 最後の錯誤は他国との「二国間関係」を持つことができると思い込んでしまった。中国が弱小国であればそれは出来る。フィリピン、ベトナムに対しても、二国関係として個別に対応できる。 
 ところが中国が強力になり始めた途端に、それは単なる「二国間」にはならなくなる。中国がベトナムと外交的に揉め事を起こせば、ベトナム側を助けようとする国が出てくる。「次は自分の番になるかも知れない」と考えた他国が「もしそうなら次にターゲットになる前にベトナムを助けておこう」と思うからだ。第三国のインドもベトナムの潜水艦乗組員の訓練施設を提供するなどの支援を始めた。

<China3.0―選択的攻撃>
 2014年の秋になって、中国は「チャイナ2.0」が完全な間違いであることに気が付いた。太平洋を中心とする地域に「反中同盟」が結成されてきたからである。そこで、「チャイナ2.0」をやめて、新たに「チャイナ3.0」を始めた。それは「選択的攻撃」で、抵抗のない処では攻撃的に出て、抵抗があれば止めるという行動である。その餌食になったのはフィリピンである。日本、ベトナム、さらにはインドに対して、攻撃を控え始めた。しかし、スリランカへの基地設置などはインドにとって許しがたい行為である。「チャイナ2.0」よりはましだが、「チャイナ1.0」よりははるかに受け入れがたい。

<なぜ国家は戦略を誤るのか?―G2論の破綻>
 世界に大きな影響を及ぼすような巨大な間違いはそれなり高い水準の社会や技術を持った国でないと犯しようがない。
①日本の戦略的誤り―1941年
 そもそも日本以外の他国が真珠湾攻撃を行おうとしても軍事的に失敗したはずである。日本はこの難しい作戦を成功させた。しかし、この真珠湾攻撃は戦術的に成功したが、戦略的に失敗した。この作戦に失敗していれば、ルーズベルトは対日戦ために軍を動員できなかったし、太平洋戦争も起らなかった。広島、長崎に原爆は落とされなかったはずだ。 真珠湾攻撃の翌朝に日本が取りうる最高の戦略は「無条件降伏」だったかもしれない。 日本の軍部が間違いを起こした根本原因は「現実には存在しないアメリカ」を「発明」したことである。「真珠湾にある軍艦を失っても何も反応せず、日本に見向きもしない。その間に日本はオランダ領インドネシアを攻撃して石油を確保できる」という想定である。
②アメリカの戦略的誤り―2003年
 2003年、アフガニスタンでアルカイダ掃討の肩透かしを食ったアメリカは、そのフラストレーションを晴らすべく、目標をイラクに転じた。2003年にアメリカはイラクに侵攻したが、それに用いた兵力は小規模で、50万に過ぎなかった。
 小規模で十分と判断したのは「民主主義を待ち望んでいるイラク人」と言う存在を発明したのだ。サダム・フセインと言う存在さえ取り除けば、民主主義を待ち望んでいる国民によってイラクの民主化が進み、幸せ訪れるはずだ。しかしイラクの国内事情はシーア派とスンニ派の宗派対立、クルド人の民族独立への野望が渦巻き、収拾がつかくなってしまった。
③中国の戦略的誤り 
 中国は(A)カネと権力の混同、(B)線的予測の錯誤、(C)二国間関係の錯誤 という3つの錯誤を犯しているが、さらに中国の「天下」と言うシステム―中国が大国であることを周辺の小国が認めるという世界観―この錯誤をさらに大きくしている。
 アヘン戦争から始まる「百年国辱」を晴らし、「偉大なる中国民族の復活させる」というスローガンが横行するようになった。 
 それは冷静な考え方が最も必要な瞬間に、突然の感情の激流―Strum und Drung―に襲われて、最適な戦略であるのChina4.0への転換を凡そ実行不能なものとしてしまっている。そのためには習近平が対外政策において、次の二つを実行する必要がある。①「九段線」若しくは「牛の舌」のかたちで知られる地図を引っ込め、南シナ海の領有権の主張を放棄すること、②空母の建造を中止すること。これらにより、インドネシア、マレーシア、ブルネイとの領有権問題を解消できるし、アメリカの警戒感を解消できる。
 キッシンジャー以外アメリカで信じていないG2=新型大国関係をあたかも3億2000万人のアメリカ国民の総意であると勘違いしているが、それも大胆に最適な戦略への転換を妨げている。
 最後に尖閣問題に対するルトワック先生の提言がある。それは、外務省、海保、海自、空自、陸自が協力して予め「多元的阻止能力」を用意しておくことだという。即ち、最大限の確実性と最小限の暴力をもって「中国の尖閣占拠」を排除すべきである。つまり謂わば積極的な「受動的封じ込め政策」の勧めである。 

|

« 日本海軍は何故過ったか―海軍反省会四〇〇時間の証言より」読後感 | Main | 白石隆政策研究大学院大学長「海洋アジアvs.大陸アジア」読後感 »

Comments

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference エドワード・ルトワック「中国4.0―暴走する中国」読後感:

« 日本海軍は何故過ったか―海軍反省会四〇〇時間の証言より」読後感 | Main | 白石隆政策研究大学院大学長「海洋アジアvs.大陸アジア」読後感 »