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May 09, 2016

山内昌之東大名誉教授「中東複合危機から第三次世界大戦へ」読後感


 山内教授のこの極めて刺激的な題名の書物は、2015年11月に起きた「イスラーム国によるパリ大虐殺テロの直後、ローマ法王フランシスコが「これはまとまりを欠く第三次世界大戦の一部」だと表現したことに由来する。
 中東イスラーム地域は我が国からは地理的に遠く、また歴史的にもなじみが薄いので、深刻な状況が起きていることは知っていても、何故そのような事態になったのか、一体何が起きているのか、なかなか理解しがたいところがある。
 シーア派とスンナ派との対立、それを背景とするイランとサウジアラビアの対立、トルコとロシアの根深い確執、クルド人の独立を目指す反乱、それらがトルコ軍によるロシア軍機の撃墜、イランとサウジアラビアの断交、ISによる世界各地でのテロとして火を噴き、シリアは混乱の極に達して、何万人もの難民が欧州諸国に押し寄せている。その難民がテロ戦士の供給源ともなっている。
 中東問題の碩学のこの書物はある程度これらの疑問に答えてくれている。
 シリアの内戦はアラブの春に刺激された始まったアサド体制打倒の民主化運動として始まったが、中東を19世紀以来のグレート・ゲームの場として利用し、国際的な影響力を回復しようと企むプーチンのロシアとイランの第二次冷戦的思考による介入によって非常に複雑な様相を呈している。米欧対ロシア・イラン、スンナ派アラブ対シーア派アラブと言った代理戦争はロシアやイランが当事者となることで、複雑な対立構造を持つ構造となり、さらにはISが主役に躍り出たポストモダン型戦争の性格を濃くしている。
しからば、ポストモダン型戦争とは何か。自由や人権を基礎にした市民社会や国民国家を尊重するモダニズムを否定しながらカリフ国家やシャリーアの実現と言うプレモダンの教理を主張するISがジハード=聖戦の名のもとに無差別殺人と市民捕虜殺害を公然と行うテロや武装闘争の形で国境を越えて欧米や中東で既成の権威や権力を転覆しようとする「イスラーム・テロリズム」のことである。
 ISの登場によって混乱を極めるシリアや中東の内乱からヨーロッパにに逃れてきた300万人もの人々は、彼らが経験したことのない表現と政治活動の自由を獲得している。その結果、彼らが今や批判するのは、仇敵ISではなく、彼らを受け入れてくれた西欧の政府と市民だという逆説が生じている。彼らの扱いや市民による「差別」の視線に不満をもつのはイスラームの悲劇と言うほかない。ひとたび自由の世界に逃れて自己主張の権利を手に入れた若者は、容易にISなど、ジハーディストの悪魔のささやきにからめとられて、インターネットやサイバー空間を介して、ISが西欧にテロを広げる遠隔地戦線に投入され、その手駒とされている。 スウェーデンで起こった難民施設職員への刺殺に加えて、ドイツのケルン、ハンブルグ、シュットトガルトで起きた性犯罪や窃盗や暴行は計画的同時犯行ともいわれる。ISは「顔や肌を露出している欧米の女性なら性行為や自由恋愛をムスレムの男性にも許容するはずだ」という勝手な論理で婦女暴行を正当化する論理と言説をイスラームの文脈で提供し、難民に同情的な市民世論に亀裂を入れている。
 西欧世論の批判を人種主義やオリエンタリズムの発露として、植民地主義の清算が先ではないかとも言説が、米欧、日本の専門家や知識人の一部にあるが、それは倒錯した議論であり、問題解決の方向へ導くものではないと思われる。
 イスラームは本来極めて平和的な宗教で、テロリズムとは無縁であるとのイスラーム教徒の弁明を聞くが、しかし、中東、アフリカ、東南アジアなどの本来のイスラーム地域のみならず、欧米でも大規模テロを繰り返す、ジハーディストを産み出す何らかの要素がイスラーム教の教義の中に含まれているに違いない。それを摘出し、正していくことこそが世界のイスラーム教徒全体の責任だと思うが、そのような疑問に対する答えはこの書物には含まれていない。中東の複合危機が火を噴き、第二次冷戦が熱い第三次世界大戦に発展することがないよう祈りたい。
 

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