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May 16, 2016

井手英策慶応大教授の「経済の時代の終焉」の読後感

 著者は1972年生まれ。東大経済学部→東北学院大助手→横浜国大助教授→慶応大教授。財政社会学専攻。「団塊ジュニア」世代で、大学進学時にはバブルがはじけ、就職氷河期に学部を卒業した世代と言う。言うなれば、我々の息子、娘たちとほぼ同じ経験を積みながら、生きて来た世代である。 経済学を専攻した学者が「経済の時代の終焉」を主張するのは逆説的にも思えるが、高度成長期の末期に生を享けて、バブルがはじけた時期に大学院で経済学を研究した著者ならではの感慨が込められているだろう。
<社会の基礎を侵食する「経済の時代」>
 資本主義の歴史を振りかえってみると、近代に入って、家族や近隣との助け合い、友人などで構成されていた「生活を守るための領域」に生産・交換という経済の論理が容赦なく侵入した。交換の原理が突出した市場経済は人間を労働者に変え、コミュニティや人間のつながりを破壊し、共同体による互酬や再分配を困難にした。
<社会の破壊を食い止める財政の役割>
「経済的効率」を追求した社会は格差という耐え難い「社会的非効率」を生み出した。市場経済の膨張があらわになり、互酬と再分配の危機が生じる中で、この両者をすくい取るようにして発達してきたのが公的領域であり、その中核をなすものが財政である。即ち財政とは人々の共同の困難に対する「緩衝剤」であり、経済による破壊を食い止める社会の「結びの糸」であった。
<世界大恐慌の発生とケインズ型福祉国家> 
ところが経済の膨張が急激であれば社会政策負担は増大、財政は巨大化し、財政危機に陥る。遂には市場経済のダイナミズムが社会秩序を根底から揺り動かす事態が生まれた。これが世界大恐慌の勃発である。大恐慌期を克服するための模索の中で生まれたのがケインズ型福祉国家である。経済を飼いならし(domesticate)ながら、完全雇用と有効需要の創出に重点をおきながら、「黄金の60年代」という成長と繁栄の時代を実現した。思い起こせば、我々が社会人となったのは幸運にも丁度この時期だったのである。
<黄金の60年代と土建国家レジューム>
 この黄金の60年代に日本で確立したのが「土建国家レジューム」であった。公共投資は元々戦後復興と失業対策を狙いとして開始された。60年代半ばごろから、次第に地方への予算の配分が重視されるようになった。公共投資によって支えられた雇用と所得は低所得層を生活保護の受給者ではなく、税や社会保険料の負担者に変えた。また都市住民には高度経済成長による税の自然増収を還元する形での減税が行われた。成長によって毎年所得が増え、減税の恩恵を受けた都市中間層にとっても、地域間の水平的な再分配に反対する理由はない。減税と公共投資を柱として、所得階層間・地域間の連帯が成り立っていた。
<低成長と財政危機、のさばる新自由主義>
 しかし、1973年に始まるニクソンショックや石油危機を契機として、夢のような黄金の時代は終焉を告げる。ますます拡大する貿易収支の赤字に苦しむ米国からの執拗な圧力(日米構造協議など)に屈する形での内需振興策→公共投資の大幅拡大によって、財政赤字が毎年累積していく状況が生まれた。また一方ではグローバリゼーションの進行とそれに伴う労働分配率の低下=賃金下落(世帯所得の中央値はピーク時の550万円から2012年の432万円へと21%も下落している)によって労働者が犠牲にされ、家計の貯蓄率が低下していく一方、企業の内部留保は増加の一途をたどっている。財政危機と成長鈍化―近代の社会秩序を揺るがしかねない変動への一つの回答、それを示したのが米国のレーガン大統領と英国のサッチャー首相であった。彼らは公的領域の縮小=「小さな政府」こそが経済成長の原動力であるというロジックを生み出した。わが国でもレーガン・サッチャー流の「小さな政府」を標榜する新自由主義が優勢となった。
<新自由主義が生み出した社会の分断>
 それが主導する形で財政再建策が論議された際、増税なき財政再建が叫ばれ、行政改革が模索されている。その過程で誰が負担していないか、誰が無駄遣いしているかとの犯人探しがはびこっている。何が必要か、誰が有能かではなく、何が不要で、誰が無能であるかを問う政治がはびこったのである。、また子育て手当の拡充を求める子育て世代と、「子育てに金は要らない」「むしろ年金を増やすべきだ」と反発の声を上げる高齢者層が受益の奪い合い、負担の押し付け合いをしている。今我々の社会には連帯ではなく、分断の楔が打ち込まれている。まさに社会統合の危機ともいうべき状況にある。
 これは勿論我が国のみが直面している問題ではない。米国はもっと極端な形で、格差が拡大しており、社会が分裂の危機の瀬戸際に立っている。米社会が内包する潜在的な対立をあおり、予備選を勝ち上がってきたのが共和党のトランプ候補である。集会では罵声が飛び交い、暴力沙汰まで起きた。トランプ旋風が生み落した社会分断の傷痕は、大統領選の結果にかかわらず、簡単に修復できない恐れがある。けれども、このような社会分断を引き起こすまでに格差問題を放置したワシントンの既成政治家、ウォール街を牛耳る財界人たちの責任こそ問われるべきかもしれない。
<「人間の利益」への普遍主義的転換が解決策となるか?>
 しからばこの社会の分断を克服する処方箋は何か? それは財政運営のあり方を「土建国家レジューム」のような「特定の誰かの利益」から「人間の利益」へと価値を転換するであるという。それは「選別主義」から「普遍主義」への発想の転換でもある。所得や年齢等の制限によって受益者を「選別」するのではなく、人間の生活にとって必要なものをすべての人びとに普遍的に提供する方向への移行である。民主党政権の「高校教育無償化」や「子供手当」はその先導的試行だったともいえる。欧州諸国では大学教育の無償化、医療の低負担化、家族給付の充実など、すべて人間である以上誰もが必要とする「人間の必要」であり、欧州では税を通じてこれらを社会化することに努めてきた。人間が人間を信頼する状態、すなわち人々がつながるときにはじめて、豊富な税を集めることができ、財政の均衡を回復させることができるという。
<パナマ文書が提起している深刻な問題>
 租税への抵抗を緩和するための条件は3つあるという。①他者が自分と同じように正しく税を納めていること、②集めた税を政府が正しく使っていること、③前の世代人々が適切な判断の下に借金を行っていること、である。この②の条件がに疑いをもたれている上に、パナマ文書暴くところによれば、世界の権力者や富裕層が巧く立ち回り租税逃れに奔走している事実が明らかになった。これは人間を信頼しうる状態は最早破綻しているという深刻な状況である。
 パナマ文書の影響を考えると、井手教授の結論は若干楽観的過ぎるようにも思えるが、傾聴に値する提言のように思える。

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