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May 27, 2016

三橋貴明「中国崩壊後の世界」読後感

<新駐中国大使の就任挨拶>
 5/17の新聞によると、久しぶりに「チャイナ・スクール」出身者(外務省の中国語研修組を指す)の横井氏が中国での勤務経験の長さや人脈が買われ、トルコ大使から中国大使に起用されたと言う。そして大使就任記者会見の内容が詳しく報道された。
 その中で大使が中国留学時から現在までの中国経済の驚異的な発展ぶりを次のように回顧している。
「客観的な数字でご説明申し上げますと、たとえば1980年、私がまさにここに留学した当初、日本と中国のGDP(国内総生産)の差というのは、日本が10に対して中国が1でした。中国の人口は日本の10倍ですから、GDPパーキャピタは1対100といったような、そういった時代が比較的長い間続いたと思います。 

 ただ、私は前回(2006~2010年)、上海総領事をしており、かつ上海万博の直前だったと思いますけれども、ちょうど日本と中国のGDPがほぼ同じになり、それからちょっと目を離したこの5年間に、日本のGDPが5兆ドルに対して、中国は2・2倍、11兆ドルになっているというふうにうかがいました。

 まさに1980年と今日には36年間の差がありますけれども、その間にまさに日本が1、中国が10分の1であったものが、日本が1、中国が2・2というふうに大きく変わっている。これは数字だけだとなかなか実感できないかもしれませんけれども、これは当然のことながら世界の経済、政治におけるおのおのの国の立ち位置、あるいはおのおのの国との関係もそれは前とは大きく違っているということだと思います」。
 
<最早打つ手のない中国経済>
 「隣国のこの驚異的な経済発展は本当なのか?」「中国は永続的に成長するのか?」との素朴な疑問を解明する一助になるかとの思いから、今回昨年末に出版された気鋭の経済評論家の最新作の題記書籍を読んでみることにした。
 結論からいえば、「不動産バブルの崩壊に伴う信用不安→ホットマネー(外国からの投機資金)の流出→それを防止するための株式バブルの演出→株式バブルの崩壊→通貨危機の恐れ」と言うプロセスの最終段階に至っており、もはや中国政府に打つ手がないと言うことのようだ。

<捏造されているGDP統計>
 中国には偽物だらけだ。腕時計の偽物、DVDの偽物、最近はゴールドマンサックスの偽物まで登場した。英FTは「中国の7%成長は本物か?」と疑いを持っており、独立調査機関:コンファレンス・ボードの推計によると2008年の成長率は4.7%(政府推計は9.6%)、2012年のそれは4.1%(政府:9.7%)と実態は政府発表の半分以下であるという。第一鉄道輸送量が10%も減少しているのに、7%の成長率を維持しているなど言うことがありうるのだろうか? また対前年比で輸入量も減少し続けている。10~20%も輸入量が減り続けていて、7%の成長率を維持するなどと言うことはありうるのだろうか? 小生の海運会社調査部長当時の経験則では先進国では、大体各国のGDP成長率の2倍の輸入額増加が見られたという記憶がある。
 しかし中国大使の言われるように、あれあれという間に世界第二の経済大国にのし上がったように見える現実の姿と、GDP成長率捏造疑惑との間には違和感と言うかギャップを感じてしまう。かつての成長率は正確だったが、経済が変調を来してから、矛盾を覆い隠すために捏造するようになったのか、疑問が残る。
 
<想像以上に脆弱な国家中国>
 中国は国民が運命共同体意識=国民意識を持つ国民国家とは言えず、チベットや東トルキスタンなどを侵略して相手国の住民を無理やり「中国人」にしてしまった。チベット人やウイグル人が漢人とナショナリズムを共有することなどあり得ない。それ以前に中国では上海人と北京人ですら、同朋意識を持たず、憎悪しあっているという現実がある。
 しかも人治国家で法治国家ですらない。政治家とのコネが全てを決める。グローバリストにとってこれほどありがたい国はない。規制当局と「繋がる」ことによって、「国民の利益」を無視してビジネスを展開、特定の企業や投資家の利益最大化を実現することが出来る。「人民の健康や安全、環境をも無視した、政治と結びついたビジネス中心主義」はグローバリズムと相性が良い。それは国内の人々をコネの恩恵に浴する人々とそれ以外の人々へと二分化していく(Two Nation化)。
 二分化された人々は平時にはお互いに距離を置くことで共存が可能であるが、大規模災害や戦争・内乱の非常事態には平穏は一気に崩れる。
 その不安感から人民が「自分」や「家族や一族」の利益しか考えず、出来るだけ短期で資産を蓄え、安全な「外国」に移民することばかり考えている国家は極めて脆弱な国家であって、一連のキャピタル・フライト→通貨危機的状況の接近にはそのような背景があるとしたら、中国共産党が反日キャンペーンを繰り広げ、やたらに愛国心を強調して、ナショナリズムの幻想を植え付けようとするのも理解出来る。

<資源国にははた迷惑な中国経済の急拡大と急失速>
 日本が鉄鋼生産世界一を誇っていた1975年当時、その生産量は高々1億2000万トン弱であった。終戦時壊滅状態にあった日本の鉄鋼業が1.2億トンの生産量に達するまで実に30年の歳月をかけている(その当時の中国は25万トン位)。中国の鉄鋼生産能力は現在8億2000万トン。21世紀に入ってから急拡大した。これが中国の不動産バブルの崩壊によって、鉄鋼需要は生産量の半分以下に落ち込んでしまった。実に日本の鉄鋼生産量の4倍規模の余剰を抱え込んでいることになる。このような供給過剰のはけ口を求めて強引にAIIBと言う銀行を設立し、世界中から資金を集め、インフラ投資を実施しようとしているとも考えられる。
 中国経済の急減速で迷惑を蒙っているのはオーストラリア、ブラジル、中東諸国、ロシア更にはカナダなどの資源国である。例えば2011年のピーク時には1トン当たり185ドルだった鉄鉱石価格が、現在では96ドル、更には48ドルに下落するだろうと言われている。その影響で、しばらくこの世の春を謳歌していたブラジルは国債が暴落、再び債務国に転落するのではないかと危惧されているという。オーストラリアの経済も苦しいし、中東諸国、ロシアも原油価格の低迷に苦しんでいる。 中国経済の急拡大は世界中に資源輸出の設備拡張に奔らせ、それが余剰設備となってBRICS諸国を苦しめているのである。
 いずれにしろ、「中国は永久に右肩上がりで成長する」と言う期待は幻想に過ぎなかったようだ。

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May 16, 2016

井手英策慶応大教授の「経済の時代の終焉」の読後感

 著者は1972年生まれ。東大経済学部→東北学院大助手→横浜国大助教授→慶応大教授。財政社会学専攻。「団塊ジュニア」世代で、大学進学時にはバブルがはじけ、就職氷河期に学部を卒業した世代と言う。言うなれば、我々の息子、娘たちとほぼ同じ経験を積みながら、生きて来た世代である。 経済学を専攻した学者が「経済の時代の終焉」を主張するのは逆説的にも思えるが、高度成長期の末期に生を享けて、バブルがはじけた時期に大学院で経済学を研究した著者ならではの感慨が込められているだろう。
<社会の基礎を侵食する「経済の時代」>
 資本主義の歴史を振りかえってみると、近代に入って、家族や近隣との助け合い、友人などで構成されていた「生活を守るための領域」に生産・交換という経済の論理が容赦なく侵入した。交換の原理が突出した市場経済は人間を労働者に変え、コミュニティや人間のつながりを破壊し、共同体による互酬や再分配を困難にした。
<社会の破壊を食い止める財政の役割>
「経済的効率」を追求した社会は格差という耐え難い「社会的非効率」を生み出した。市場経済の膨張があらわになり、互酬と再分配の危機が生じる中で、この両者をすくい取るようにして発達してきたのが公的領域であり、その中核をなすものが財政である。即ち財政とは人々の共同の困難に対する「緩衝剤」であり、経済による破壊を食い止める社会の「結びの糸」であった。
<世界大恐慌の発生とケインズ型福祉国家> 
ところが経済の膨張が急激であれば社会政策負担は増大、財政は巨大化し、財政危機に陥る。遂には市場経済のダイナミズムが社会秩序を根底から揺り動かす事態が生まれた。これが世界大恐慌の勃発である。大恐慌期を克服するための模索の中で生まれたのがケインズ型福祉国家である。経済を飼いならし(domesticate)ながら、完全雇用と有効需要の創出に重点をおきながら、「黄金の60年代」という成長と繁栄の時代を実現した。思い起こせば、我々が社会人となったのは幸運にも丁度この時期だったのである。
<黄金の60年代と土建国家レジューム>
 この黄金の60年代に日本で確立したのが「土建国家レジューム」であった。公共投資は元々戦後復興と失業対策を狙いとして開始された。60年代半ばごろから、次第に地方への予算の配分が重視されるようになった。公共投資によって支えられた雇用と所得は低所得層を生活保護の受給者ではなく、税や社会保険料の負担者に変えた。また都市住民には高度経済成長による税の自然増収を還元する形での減税が行われた。成長によって毎年所得が増え、減税の恩恵を受けた都市中間層にとっても、地域間の水平的な再分配に反対する理由はない。減税と公共投資を柱として、所得階層間・地域間の連帯が成り立っていた。
<低成長と財政危機、のさばる新自由主義>
 しかし、1973年に始まるニクソンショックや石油危機を契機として、夢のような黄金の時代は終焉を告げる。ますます拡大する貿易収支の赤字に苦しむ米国からの執拗な圧力(日米構造協議など)に屈する形での内需振興策→公共投資の大幅拡大によって、財政赤字が毎年累積していく状況が生まれた。また一方ではグローバリゼーションの進行とそれに伴う労働分配率の低下=賃金下落(世帯所得の中央値はピーク時の550万円から2012年の432万円へと21%も下落している)によって労働者が犠牲にされ、家計の貯蓄率が低下していく一方、企業の内部留保は増加の一途をたどっている。財政危機と成長鈍化―近代の社会秩序を揺るがしかねない変動への一つの回答、それを示したのが米国のレーガン大統領と英国のサッチャー首相であった。彼らは公的領域の縮小=「小さな政府」こそが経済成長の原動力であるというロジックを生み出した。わが国でもレーガン・サッチャー流の「小さな政府」を標榜する新自由主義が優勢となった。
<新自由主義が生み出した社会の分断>
 それが主導する形で財政再建策が論議された際、増税なき財政再建が叫ばれ、行政改革が模索されている。その過程で誰が負担していないか、誰が無駄遣いしているかとの犯人探しがはびこっている。何が必要か、誰が有能かではなく、何が不要で、誰が無能であるかを問う政治がはびこったのである。、また子育て手当の拡充を求める子育て世代と、「子育てに金は要らない」「むしろ年金を増やすべきだ」と反発の声を上げる高齢者層が受益の奪い合い、負担の押し付け合いをしている。今我々の社会には連帯ではなく、分断の楔が打ち込まれている。まさに社会統合の危機ともいうべき状況にある。
 これは勿論我が国のみが直面している問題ではない。米国はもっと極端な形で、格差が拡大しており、社会が分裂の危機の瀬戸際に立っている。米社会が内包する潜在的な対立をあおり、予備選を勝ち上がってきたのが共和党のトランプ候補である。集会では罵声が飛び交い、暴力沙汰まで起きた。トランプ旋風が生み落した社会分断の傷痕は、大統領選の結果にかかわらず、簡単に修復できない恐れがある。けれども、このような社会分断を引き起こすまでに格差問題を放置したワシントンの既成政治家、ウォール街を牛耳る財界人たちの責任こそ問われるべきかもしれない。
<「人間の利益」への普遍主義的転換が解決策となるか?>
 しからばこの社会の分断を克服する処方箋は何か? それは財政運営のあり方を「土建国家レジューム」のような「特定の誰かの利益」から「人間の利益」へと価値を転換するであるという。それは「選別主義」から「普遍主義」への発想の転換でもある。所得や年齢等の制限によって受益者を「選別」するのではなく、人間の生活にとって必要なものをすべての人びとに普遍的に提供する方向への移行である。民主党政権の「高校教育無償化」や「子供手当」はその先導的試行だったともいえる。欧州諸国では大学教育の無償化、医療の低負担化、家族給付の充実など、すべて人間である以上誰もが必要とする「人間の必要」であり、欧州では税を通じてこれらを社会化することに努めてきた。人間が人間を信頼する状態、すなわち人々がつながるときにはじめて、豊富な税を集めることができ、財政の均衡を回復させることができるという。
<パナマ文書が提起している深刻な問題>
 租税への抵抗を緩和するための条件は3つあるという。①他者が自分と同じように正しく税を納めていること、②集めた税を政府が正しく使っていること、③前の世代人々が適切な判断の下に借金を行っていること、である。この②の条件がに疑いをもたれている上に、パナマ文書暴くところによれば、世界の権力者や富裕層が巧く立ち回り租税逃れに奔走している事実が明らかになった。これは人間を信頼しうる状態は最早破綻しているという深刻な状況である。
 パナマ文書の影響を考えると、井手教授の結論は若干楽観的過ぎるようにも思えるが、傾聴に値する提言のように思える。

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May 09, 2016

山内昌之東大名誉教授「中東複合危機から第三次世界大戦へ」読後感


 山内教授のこの極めて刺激的な題名の書物は、2015年11月に起きた「イスラーム国によるパリ大虐殺テロの直後、ローマ法王フランシスコが「これはまとまりを欠く第三次世界大戦の一部」だと表現したことに由来する。
 中東イスラーム地域は我が国からは地理的に遠く、また歴史的にもなじみが薄いので、深刻な状況が起きていることは知っていても、何故そのような事態になったのか、一体何が起きているのか、なかなか理解しがたいところがある。
 シーア派とスンナ派との対立、それを背景とするイランとサウジアラビアの対立、トルコとロシアの根深い確執、クルド人の独立を目指す反乱、それらがトルコ軍によるロシア軍機の撃墜、イランとサウジアラビアの断交、ISによる世界各地でのテロとして火を噴き、シリアは混乱の極に達して、何万人もの難民が欧州諸国に押し寄せている。その難民がテロ戦士の供給源ともなっている。
 中東問題の碩学のこの書物はある程度これらの疑問に答えてくれている。
 シリアの内戦はアラブの春に刺激された始まったアサド体制打倒の民主化運動として始まったが、中東を19世紀以来のグレート・ゲームの場として利用し、国際的な影響力を回復しようと企むプーチンのロシアとイランの第二次冷戦的思考による介入によって非常に複雑な様相を呈している。米欧対ロシア・イラン、スンナ派アラブ対シーア派アラブと言った代理戦争はロシアやイランが当事者となることで、複雑な対立構造を持つ構造となり、さらにはISが主役に躍り出たポストモダン型戦争の性格を濃くしている。
しからば、ポストモダン型戦争とは何か。自由や人権を基礎にした市民社会や国民国家を尊重するモダニズムを否定しながらカリフ国家やシャリーアの実現と言うプレモダンの教理を主張するISがジハード=聖戦の名のもとに無差別殺人と市民捕虜殺害を公然と行うテロや武装闘争の形で国境を越えて欧米や中東で既成の権威や権力を転覆しようとする「イスラーム・テロリズム」のことである。
 ISの登場によって混乱を極めるシリアや中東の内乱からヨーロッパにに逃れてきた300万人もの人々は、彼らが経験したことのない表現と政治活動の自由を獲得している。その結果、彼らが今や批判するのは、仇敵ISではなく、彼らを受け入れてくれた西欧の政府と市民だという逆説が生じている。彼らの扱いや市民による「差別」の視線に不満をもつのはイスラームの悲劇と言うほかない。ひとたび自由の世界に逃れて自己主張の権利を手に入れた若者は、容易にISなど、ジハーディストの悪魔のささやきにからめとられて、インターネットやサイバー空間を介して、ISが西欧にテロを広げる遠隔地戦線に投入され、その手駒とされている。 スウェーデンで起こった難民施設職員への刺殺に加えて、ドイツのケルン、ハンブルグ、シュットトガルトで起きた性犯罪や窃盗や暴行は計画的同時犯行ともいわれる。ISは「顔や肌を露出している欧米の女性なら性行為や自由恋愛をムスレムの男性にも許容するはずだ」という勝手な論理で婦女暴行を正当化する論理と言説をイスラームの文脈で提供し、難民に同情的な市民世論に亀裂を入れている。
 西欧世論の批判を人種主義やオリエンタリズムの発露として、植民地主義の清算が先ではないかとも言説が、米欧、日本の専門家や知識人の一部にあるが、それは倒錯した議論であり、問題解決の方向へ導くものではないと思われる。
 イスラームは本来極めて平和的な宗教で、テロリズムとは無縁であるとのイスラーム教徒の弁明を聞くが、しかし、中東、アフリカ、東南アジアなどの本来のイスラーム地域のみならず、欧米でも大規模テロを繰り返す、ジハーディストを産み出す何らかの要素がイスラーム教の教義の中に含まれているに違いない。それを摘出し、正していくことこそが世界のイスラーム教徒全体の責任だと思うが、そのような疑問に対する答えはこの書物には含まれていない。中東の複合危機が火を噴き、第二次冷戦が熱い第三次世界大戦に発展することがないよう祈りたい。
 

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May 08, 2016

【松尾義之「日本語の科学が世界を変える」】の紹介

著者は国立高→東京農工大工学部→日経サイエンス編集部→ネイチャー・ダイジェスト誌編集長を務めた科学ジャーナリスト。
なかなか面白い着眼の書物である。
21世紀に入ってから、日本はほぼ毎年1名の割合で、ノーベル賞受賞者を輩出しているのは何故かと問いかけ、「それは日本語で科学しているからではないか」との仮説を証明しようとしている。「日本語は非論理的」「日本語は科学に適していない」と言う妄説は米国に次ぐノーベル賞受賞者を量産しているという事実の前に説得力を失ってしまった。
むしろ江戸時代の蘭学から、西周など明治の先達が心血を削って、科学用語のみならず、法律用語など近代西欧の学術用語を日本語に置き換えるという大事業を成し遂げてくれたおかげで、母国語=日本語で科学ができる世界でもまれな国を作り上げることができた。漢字表記は英語の学術用語とは異なり、本質が直感的に理解できる。英語の準公用語化などはナンセンスだと喝破している。アイデンティティのないグローバル化など百害あって一利なしだと。それよりも国語教育、科学教育の充実のほうがはるかに先であると主張する。明治の先達の努力に感謝である。むしろ日本語を媒体とする日本人の思考方法、即ちヨーロッパの言語ののように善悪、正反、正邪を二律背反的に明確の区別する思考法とは違い、中間に真理があると言う中庸の感覚が湯川博士の中間子理論や木村資生博士の「分子進化の中立説」などは日本語の思考方法が生み出したのでないかと言う。
しかし、日本人は世界で一番多くの文字種を使っている。漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット、アラビア数字、時計数字など6種もの文字種を使いこなしている。そのため有識者の間でローマ字表記論者が沢山いた。しかしこの難点は東芝の森健一博士が1978年に「日本語ワードプロセッサー」を開発されたことにこの問題点は完全に解決された。これは日本の文字文化に革命を起こした。その結果異文化を取り入れる許容度が非常に大きいと言う日本民族の特徴が損なわれることなく、、世界で最も多種類の文字を日常的使える状態となっている。この日本語ワードプロセッサーに技術は、中国の漢字体系のみならず、アジアの国々の文字やコンピュータ処理に流用されているという。世界貢献であるという点でも日本語ワープロの世界に誇ってい良い大発明で、ノーベル平和賞が何故授与されないのか不思議だという。
韓国は全面的ハングル化を進めたため、元の漢字熟語の読みが同じ場合、同じ表記になってしまい、行き違いが生じ、ましてや微妙なニュアンスの伝達など望むべくもないという。彼らの誇る李朝朝鮮の歴史書や古文書を読める人が殆どいなくなってしまったと言う。それが発想力の枯渇を生み韓国からノーベル賞受賞者が出ないという理由だと言えば、牽強付会が過ぎるだろうか?
何れにしろ、「この国に生まれてきて良かった」と思えるような国にすることが、国家の目標だとすれば、あらゆる学問・教育が世界水準で受けられる日本に生まれてよかったと言うのが正直な感想である。

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May 06, 2016

「バランスシートで読みとく世界経済史」読後感

Jane Gleeson-White(オーストラリアのジャーナリスト)「バランスシートで読みとく世界経済史」読了。
複式簿記と言うのは、バランス・シート(BS)と損益計算書(PL)の二本立ての計算書を造ることかと思っていたら、原書のタイトルが"Double Entry"となっている処から見ると、毎日の取引を一つ一つ記録する日記帳のデータを仕訳帳に移して記録することを言うらしい。
複式簿記は1430年代にはヴェネチアの商人たちが既に一つの取引を貸方と借方の二つの欄で記録するという複式簿記の仕組みを完成さていたという。
その仕組みを体系化して世界初の簿記の論文「計算及び記録に関する詳説」を1494年に数学全書の一部として発表し「会計の父」と呼ばれるようになったのはイタリア・トスカーナ州のサンセポルクと言う町に生まれたルカ・パチョーリと言う修道士だった。印刷機の発明によって欧州中に広がったパチョーリの人生の集大成ともいえる「算術、幾何、比および比例全書」(スンマ)の中にもヴェネチア式の簿記が含まれているが、大部分はユークリッドの「原論」とフィナボッチ(フィナボッチ数列で有名)の著作から学んだ知識を基にした研究の成果が詰め込まれたインド・アラビア数字と代数学を扱った最初の印刷物であった。このスンマが代数学と複式簿記を広め、欧州の科学と商業に大きく貢献したという。簿記論などはアカデミズムとは程遠い商業学校で教える俗っぽい技術に過ぎないと思っていたが、実に数学の裏付けのある極めて先進的学問であることが分かった。
複式簿記が資本主義の発達を生み、それを国民経済レベルにまで拡大することによってケインズなどの国民経済計算を生みだし、マクロ経済学のか確固たるツールとなったという。
しかしながら、複式簿記の専門職である会計士もエンロンの不正会計を見抜けず、ロイヤル・スコットランド銀行、リーマン・ブラザーズの不正も見逃した。複式簿記もデリヴァティブ取引などには対応しきれていないのかもしれない。
さらに大きな問題は市場で市場価格に基づいて取引されない財サービスは複式簿記の中には含まれない。例えば価値の高い家事労働とか、地球資源・環境と言う外部経済を搾取し、産業廃棄物を外部不経済としてまき散らすなどの行為は複式簿記にも、その応用ある国民所得計算にも算入されていない。例えば2ドルのマック・ハンバーガーはこれらのコストをすべて算入すると百倍の200ドルになるという。
この複式簿記の限界・欠陥を克服すべきだというのが著者の問題意識らしい。
不思議に思ったのは、アラビア数字なしには複式簿記は成り立たないとおもうが、アラビア語は右から左に書くが、数字は左から右へ書いていたのだろうか? 辻褄が合わないように思うが・・・・・・・。
しかしながら、確かに全ての文明の産物は他の文明との邂逅と応答から生まれるという歴史のダイナミズムの一例を見る思いがして、なかなか面白かった。

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May 04, 2016

エマニュエル・トッド『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる―日本人への警告』読後感

全く気が付かなった視点を提供してくれる書物である。ドイツはオーストリア、チェコ、ベネルックス三国からなるドイツ圏を中核に、自主的隷属を選択したフランスとロシア嫌いのポーランド、スウェーデン、バルト三国を従えて、イタリア、スペイン、ギリシャ、ルーマニアを事実上の被支配国として、旧ユーゴ、ウクライナは併合途上にある。
ウクライナ危機も戦争を仕掛けているのはロシアではなく、ドイツだという。ウクライナの4000万人の労働力を活用しようということか?
このドイツが独り勝ちともいえるシステムを生み出したのは、フランスが発明し、ドイツが利用したユーロがその道具となった。国内では極端なディスインフレ政策をとり、給与総額を抑制した。ドイツの平均給与はこの10年間で4.2%低下したという。かくして社会文化的に賃金抑制策などとりえないユーロ圏の他の諸国に対する競争優位を獲得した。ユーロによって平価切下げの道を奪われたユーロ圏ではドイツからの輸出が一方的に伸びる空間が形成された。
ドイツ帝国と言う規律正しく驚異的なエネルギーを生み出す存在によって、ヨーロッパとはドイツ覇権の下で定期的に自殺する大陸として運命づけられていると言う。
フランスではスピード違反の取り締まりがあると、対向車線でヘッドライトを点滅させて、気を付けろと教えてくれる。ところがドイツでは違法駐車をしていると、近所の人が警察を呼ぶ。密告社会的な息苦しさがあるという。日本はどちらと言うとフランス型の軽犯罪コミュニティが主流ではないだろうか? これは救いであると感じた。

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May 03, 2016

前在韓国大使「日韓対立の真相」読後感

著者は1948年生まれ。横浜国大を卒業後、外務省入省。初のコリアン・スクール(韓国語研修を受けた)出身の駐韓大使。
反日感情がますます悪化する中で2010~2012年の2年間駐韓大使を務めた貴重な証言の記録として、思わず膝を打つ箇所も多かった。
この著作の趣旨は「反日を言っているのは朴槿恵(パク・クネ)大統領であり、政治家であり、マスコミであり、非政府組織(NGO)だ」と非難している。ついこの前まで韓国駐在の日本国特命全権大使の任にあった人物が、ここまで任国の現職大統領を罵倒するのは異常で衝撃的だ。これは前に読んだ呉善花女史の「殆ど病的ともいえる国民情緒と言うモンスターに寄り添うことで、大統領の座を手に入れた」と言う見方と一致する。
韓国は、国交正常化した昭和40(1965)年以降の日韓の歴史をまったく隠蔽している。日本が真摯に韓国の発展に協力してきたことを、韓国の人は知らない。こうした歴史をきちんと取り上げることで、日韓のわだかまりが相当なくなる
韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の主張にこだわっている限り、日韓関係の改善はない。韓国政府は、挺対協に何も言えなかった。これではだめだ。日本は、アジア女性基金などを通じ誠意を持って慰安婦問題に取り組んできた事実は全く無視されている。
韓国の反日については「韓国では政治を離れ、国民レベルでは、日本が好きという人がむしろ多いと思う」と話し、「反日を言っているのは朴槿恵(パク・クネ)大統領であり、政治家であり、マスコミであり、非政府組織(NGO)だ」と非難した。
決して韓国人民衆は本音では反日的ではないと言う指摘は小生の数カ月間の長期出張(韓国政府のコンテナターミナル最適立地調査プロジェクトに参加を求められた)の際、ホテルの土産物屋の小母さんや娘さんとの交流経験からも納得できる見方である。
むしろ大使が心配しているのは韓国民の反日感情よりも、日本人の嫌韓感情だという。しかしながら、ああも執拗に事実を大幅に歪曲した慰安婦問題を世界中に告げ口外交を展開したり、ソウルの日本大使館前(これは外交関係を規律するウィーン条約違反)や、米国はじめ世界中に慰安婦像を立てまくったりする嫌がらせを目にすれば嫌韓感情が高まろうというものである。
日本経済何するものぞと好調だった韓国経済もこのところ変調を来しつつあり、経済関係を媒介に日韓関係を改善するきっかけにしようという目論見も一部に主張されている。しかし延世大学校国際学部で教授を務めたことのある武貞秀士拓大特任教授は『アジア金融危機になればドルを融通することはしない。中韓のスワップ協定は韓国のドル枯渇には助けにならない。中国が韓国に供与するのは人民元だから。それでも日本は静観する。友人を助けないというのではない。将来の致命的な日韓摩擦を防止するためだ。金融危機のときに日本が軽々に緊急支援をしたらどうなるか。後に「韓国経済を牛耳るために韓国経済の苦境に乗じて韓国にドルを貸した」と韓国の歴史家が記述するだろう』と言う。一体この厄介な国とどのように付き合って行けばよいのか? 没法子(メーファーズ)。
安倍首相は慰安婦問題の早期妥結には「大使館前の慰安婦像の撤去が最低の条件だ」と伝えたというが、日本に対してはどのような非礼(ウィーン条約違反の慰安婦像建立や天皇に対する李明博大統領の極めて非礼な発言)を犯しても、許されるという甘え(反日無罪)を払しょくしない限り、大使が心配する嫌韓感情は悪化するばかりだろうと心配される。

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