神野直彦東大名誉教授『「人間国家」への改革』読後感
神野教授は東大経済学部で財政学を講じておられた。宇沢弘文教授を心から敬愛する直弟子でもある。
経済学を専攻したわけではないので、財政学や、宇沢=神野が導きの星としたドイツの歴史学派に学んだアメリカのヴェブレンなどの制度学派の考え方、それらこそが「資本主義と社会主義という二つの経済体制とを超えて人間の尊厳と魂の自立を可能にする経済体制」をもたらすとする新しい経済学の体系で、近代経済学とマルクス経済学をという二つの潮流を超克し、「人間国家」を構築する原理となりうる学派だということなど全く知らなかった。その意味で大変啓発される書物であった。
近代工業経済の成立によって、それまでの家族経営の生産・生活活動は生産の場と生活の場の分離を来し、政治は所有権と所有権の交換を保護する「交換の正義」を実現する機能を担うことになった。それによって、経済・社会・政治が分離して、三角形の関係が成立した。しかし、まだまだ生活の場としての社会の役割は衰えておらず、大きな役割を担っていた。その段階では「小さな市場」が「大きな社会」を残し、そのため「小さな政府」が可能であった。
ところが第二次産業革命とも言われる重化学工業の時代へと進んで行くと、市場領域がが拡大し、家族や共同体の機能が縮小していき、「大きな市場」が「小さな社会」にしてしまうと、人間の生活を保障する「大きな政府」が必要とならざる得ない。それが「大きな市場」、「小さな社会」、「大きな政府」という「現代社会」=福祉国家(大きな政府による所得再分配機能を担う)が出現する。しかし「大きな政府」による所得再分配と金本位制下の自由貿易とは矛盾する。それぞれの国民国家が社会統合のために、「自分さえ良ければ」という「近隣窮乏化政策」に奔ったからである。
これが第二次大戦という悲劇を産み、その反省から「大きな政府」と両立する国際秩序を目指さざるを得なかった。これがブレトン・ウッズ体制で、金融を社会の「主人」にするのではなく、金融を社会の「従僕」にしようと考えた。つまり、租税負担の高さによって資本逃避が生じてしまうことを抑え込む資本統制が認められていた。こうした資本の自由な移動を統制する障壁の存在こそが「福祉国家」という介入主義に基づく「大きな政府」が機能する前提条件だったのである。
しかし、大量生産、大量消費、福祉国家の「黄金の30年」と称賛される高度経済成長は自然資源多消費の限界から1973年の石油ショックに象徴される行き詰まりに直面し、スタグフレーションに悩まされることになる。
この時期にレーガン、サッチャーの新自由主義が登場し、不況とインフレの共存というスタグフレーションを「大きな政府」の結果と唱え、「大きな市場」をもっと大きく、「大きな政府」を「小さな政府」にという「市場拡大―政府縮小」戦略を掲げた。
この路線の下に資本統制が解除され、金融自由化が推進されると、資本は鳥のごとく自由に国境を越えて飛び回るようになる。これがグローバリゼーションである。それは福祉国家の財源となる高額所得者への課税、法人課税が難しくなることでもある。さらには国際競争力の強化を理由として、国民国家が規制している労働市場の規制が緩和され、賃金の引き下げも激化してしまう。中小企業や農業などの伝統産業も低価格を競い合い、仕事を獲得するための競争が激化し、国際資本の前に平伏せざるを得なくなる。そして「市場拡大―政府縮小」戦略が惹起する過剰な豊かさと過剰な貧困の併存は人間の社会に亀裂を走らせ、人的環境が破壊されるし、更には人間の生存に必要な自然環境をも破壊する。
今こそ「市場拡大―政府縮小」戦略から「市場抑制―社会拡大」に舵を切り替えて「人間国家」を目指して再出発すべきだというのが、この著作のモチーフである。
制度主義を支えている背後理念は「リベラリズムの思想」であり、近代経済学もマルクス経済学も市場経済という「大きな家の中のひと部屋」しか見ていないと批判し、市場経済の枠組みを超えた非市場領域も考察の対象とする必要性を新歴史派は認識していたということであり、国民経済は市場経済と財政という二つの経済が車の両輪とならなければ発展しないということである。
また「シュンペーター的財政赤字」という指摘も面白い。それはシュンペーターは「古き時代が腐臭を放ちながら、新しい時代が痛みを伴いながら生まれていいく歴史の『峠』では、財政が必ず危機に陥る」と指摘した。シュンペーター的赤字というのはTotal Systemとしての社会全体が危機に陥った時に生じる財政赤字ということであり、財政危機は社会全体としての危機の結果に過ぎず、その原因ではない。戦争、内乱などで社会秩序が乱れれば社会防衛、社会秩序の回復のために財政支出が増大するし、不況が深刻化して、経済危機が生じると、財政収入が減少して、結果的に財政危機が生じる。
工業化社会から知識社会へと「歴史の峠」を踏み越えよとしている日本でもシュンペーター的赤字が生じている。この「歴史の峠」では社会的インフラストラクチャーと社会的セーフティネットを張り替えなければならない。それは「学びの社会」としての「知識社会」の構築であり、トリクルダウンよりもトリクルアップの低所得者対策でである。市場経済を暴走を抑制し、財政を活用して、新しい「人間国家」へと舵を切るべき時だということだ。
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は100年ぶりの「レールム・ノヴァルム(Rerum Novarum)」=「新しき事柄」、「革新」という法王回勅を出すにあたって、宇沢先生に諮問され、先生は主題を「社会主義の弊害と資本主義の幻想」とするよう提案されたという。この事実も本書執筆の動機だったようだ。
The comments to this entry are closed.
Comments
ขายยาสอด ยาทำแท้ง ยาขับเลือด
ได้ผล100%
https://icytotec.com/cytotec.html
Posted by: ยาสอด | September 12, 2021 03:35 PM