宇沢弘文東大名誉教授「経済と人間の旅」読後感
前半は2002年3月の日経新聞「私の履歴書」を収録したもの。後半は1971年頃から2002年初めにかけて、都度日経の「やさしい経済教室」に執筆された論文を集めたものである。「やさしい」と言うものの、結構レベルの高い論文で、完全に理解できたとは言いがたい。
しかし、同氏が強調したかったのは、ケインズの経済学が時代の要求に応えられなくなってしまった後、古典派経済学がいびつな形で復活し、市場経済至上の「効率性のみを追求する」数理経済学、合理的期待形成仮説、マネタリズム、サプライサイド重視の経済学などと言う新保守主義のの衣を装った古典派的立場がはびこるようになった。これは私的利潤利潤追求を更に一層正確に押し出して、資本主義的な制度に対する様々な規制を取り除いて、再び大恐慌が起きる条件をつくり出そうとしている。1971年の時点で、リーマン・ショックなどの金融混乱を予言していた慧眼に感服するほかない。
ミルトン・フリードマン、フェルドシュタインなどがその旗手であり、レーガン政権が成立すると、これらの新保守主義の経済学の理論に基づく壮大な実験が行われた。レーガン→サッチャー→中曽根の新保守主義の規制緩和を中心とする経済政策は、竹中平蔵を指南番とする小泉改革の引き継がれ、安倍内閣もその延長線上にあるといえよう。
そのような経済学の危機を招いたのはケインズ理論をIS曲線・LM曲線分析と言う理論に矮小化した新古典派総合の所為だとも論じられているようだが、その辺の論理は本格的に経済学を勉強していない悲しさで完全に理解しえたとは言えない。
何れにしろ、これからの経済学は「人間回復」をそのテーマに据えるべきで、そのためには社会的共通資本の整備を重視しなければならないと言う。社会的共通資本には三つの類型がある。自然環境:森林、河川、湖沼、沿岸湿地帯、海洋、水、土壌、大気など。社会的インフラ:道路、橋、鉄道、上下水道、電力、ガスなど。制度資本:教育、医療、金融、司法、行政など。
また、1983年に文化功労者となり、天皇陛下に謁見した際、「キミ。キミは経済、経済と言うけれども、要するに人間の心が大切だと言いたいんだね」と言うお言葉に電撃的なショックを受けたと言う下りも面白い。昭和天皇の本質を鋭く見抜く力は、ただならぬものであったと言うことだろうか?
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