著者朴裕河さんは世宗大学日本文学科教授。韓国の高校卒後慶応大と早稲田で学んだ日本文学を専攻する学者。この著作を読んでみようと思ったのは、「帝国の慰安婦」が、元慰安婦の名誉を毀損したとして、韓国の検察が朴氏を在宅起訴したことについて、日本やアメリカの学者や作家ら54人が11月26日、抗議する声明を発表したことが報道され、関心を掻き立てられたからである。
声明文には上野千鶴子・東大名誉教授、作家の大江健三郎氏や、1990年代に慰安婦問題の外交交渉に携わった河野洋平・元官房長官と村山富市・元首相らも名を連ねた。「検察庁という公権力が特定の歴史観をもとに学問や言論の自由を封圧する挙に出た」「韓国の憲法が明記している『言論・出版の自由』や『学問・芸術の自由』が侵されつつある」と韓国の司法当局を批判し、日韓の国民感情を刺激し、問題の打開の弊害となることを懸念している。
注目すべきは、この声明文に名を連ねる人々はむしろ韓国挺対協の支援者と目される人々である。上野千鶴子・東大名誉教授は筋金入りのウーマンリブの闘士だし、大江健三郎は日本の戦争責任を追及し、日本人の主体的戦争責任意識を風化させない運動に深くコミットした左翼の闘士だと右翼からはみなされている。また、村山富市と河野洋平は「アジア女性基金」を創設し、慰安婦問題を解決しようと努力した政治家たちである。韓国の司法当局は産経新聞記者の起訴の場合と同様に、韓国の国民情緒に媚びて、刑事告訴に踏み切ることにより、これらの良心的な支援者たちを敵側に追いやってしまったのではないか?
朴氏は2013年、「帝国の慰安婦」を韓国で出版した。慰安婦になった背景や戦地での管理には様々な実態があったと分析し、日韓間の対話による解決を訴えた。2014年に日本でも日本語版が出版されている。
これに対し、元慰安婦らが2014年6月、「日本軍と同志的な関係にあった」という記述に対し、「虚偽の事実を流布し、名誉を傷つけた」として、朴教授を刑事告訴していた。 元慰安婦らは韓国で著書の出版差し止めも求め、韓国の裁判所はこれを認めた。韓国では、裁判所の決定に従い、内容を一部削除した修正版が出版されていると言う。
この著作を読んで初めて知ったのだが、韓国の慰安婦問題運動の火に油を注いだのは日本の左翼だったという。この日本の左翼たちの基金反対運動は「基金を国家の戦争犯罪を再び隠ぺいするもの」と見做し、「日本人の主体的戦争責任意識を双葉のうちに摘み取るべく構想されたもの」と考え、「日本政府の姿勢を正していくチャンスが訪れた時期に闘いをあきらめる」ものと捉え、慰安婦問題を<日本社会の改革>に結びつけようとした。かくして日本の支援者たちは単に過去や帝国主義批判にとどまらず、現在の右翼批判にエスカレートしながら、政治闘争の様相を帯びるようになったという。この段階で慰安婦の救済よりも当事者たる慰安婦たちは日本の政治運動の人質になってしまった。
日本にも強力な支援者がいると錯覚した韓国挺対協らは、帝国と戦争が生み出した慰安婦と言う存在を「女性の普遍的な人権」の問題とのメッセージを国際社会に送ることによって、世界との連帯も成功させ、<道徳的に優位>と言う正統性による<道徳的傲慢>を楽しんできた。「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」と言う傲慢は相手の屈服自体を目指す支配欲望のねじれた形=帝国主義欲望でもある。
慰安婦問題が帝国主義=植民地支配が生み出したもので、欧米の帝国主義に対する防衛上、止む無く帝国建設に奔った旧帝国(日本)の罪をほかの帝国(オランダ)と提携して、もう一つの旧帝国(米英など欧州諸国)への言いつけ外交を展開し、審判してもらうという世界連帯はアイロニーでしかない。米国の韓国内基地の周辺には慰安婦村が存在するし、ベトナム戦争では米韓とも酷い性暴力を振るったという事実が現存しているにもかかわらずである。
自分たちのみが「正義を独占している」という傲慢さと執拗さが、日本人一般民衆のみならず、所謂進歩的文化人やいろいろな国家的・政治的制約がある中で、慰安婦問題の解決に誠実に努力した政治家・官僚(彼らは「日本人先祖を卑しめた」と右翼から糾弾されている)をも敵方に追いやってしまったのではないか?
日米の学者や作家ら54人の下記の声明は、韓国挺対協とそれを日本側から煽り立てた支援者たちの運動が失敗であったことを雄弁に物語っている。運動の目的は出来る限り味方=賛同者を増やすことであったとしたら、この運動は失敗であったと言うほかない。それは日本の普通の人たちの間に嫌韓派を増加させた。韓国への日本人観光客が激減しているのはその現れである。
一読に値する著作であると考える。
付録 【日米学者作家の声明文】
『帝国の慰安婦』の著者である朴裕河氏をソウル東部検察庁が「名誉毀損罪」で起訴したことに、私たちは強い驚きと深い憂慮の念を禁じえません。昨年11月に日本でも刊行された『帝国の慰安婦』には、「従軍慰安婦問題」について一面的な見方を排し、その多様性を示すことで事態の複雑さと背景の奥行きをとらえ、真の解決の可能性を探ろうという強いメッセージが込められていたと判断するからです。
検察庁の起訴文は同書の韓国語版について「虚偽の事実」を記していると断じ、その具体例を列挙していますが、それは朴氏の意図を虚心に理解しようとせず、予断と誤解に基づいて下された判断だと考えざるを得ません。何よりも、この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思えず、むしろ慰安婦の方々の哀しみの深さと複雑さが、韓国民のみならず日本の読者にも伝わったと感じています。
そもそも「慰安婦問題」は、日本と韓国の両国民が、過去の歴史をふり返り、旧帝国日本の責任がどこまで追及されるべきかについての共通理解に達することによって、はじめて解決が見いだせるはずです。その点、朴裕河氏は「帝国主義による女性蔑視」と「植民地支配がもたらした差別」の両面を掘り下げ、これまでの論議に深みを与えました。
慰安婦が戦地において日本軍兵士と感情をともにすることがあったことや、募集に介在した朝鮮人を含む業者らの責任なども同書が指摘したことに、韓国だけでなく日本国内からも異論があるのは事実です。しかし、同書は植民地支配によってそうした状況をつくり出した帝国日本の根源的な責任を鋭く突いており、慰安婦問題に背を向けようとする日本の一部論調に与するものでは全くありません。また、さまざまな異論も含めて慰安婦問題への関心と議論を喚起した意味でも、同書は大きな意義をもちました。
起訴文が朴氏の「誤り」の根拠として「河野談話」を引き合いに出していることにも、強い疑問を感じざるを得ません。同書は河野談話を厳密に読み込み、これを高く評価しつつ、談話に基づいた問題解決を訴えているからに他なりません。
同書の日本版はこの秋、日本で「アジア太平洋賞」の特別賞と、「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」を相次いで受賞しました。それはまさに「慰安婦問題」をめぐる議論の深化に、新たな一歩を踏み出したことが高く評価されたからです。
昨年来、この本が韓国で名誉毀損の民事裁判にさらされていることに私たちは憂慮の目を向けてきましたが、今回さらに大きな衝撃を受けたのは、検察庁という公権力が特定の歴史観をもとに学問や言論の自由を封圧する挙に出たからです。何を事実として認定し、いかに歴史を解釈するかは学問の自由にかかわる問題です。特定の個人を誹謗したり、暴力を扇動したりするようなものは別として、言論に対しては言論で対抗すべきであり、学問の場に公権力が踏み込むべきでないのは、近代民主主義の基本原理ではないでしょうか。なぜなら学問や言論の活発な展開こそ、健全な世論の形成に大事な材料を提供し、社会に滋養を与えるものだからです。
韓国は、政治行動だけでなく学問や言論が力によって厳しく統制された独裁の時代をくぐり抜け、自力で民主化を成し遂げ、定着させた稀有の国です。私たちはそうした韓国社会の力に深い敬意を抱いてきました。しかし、いま、韓国の憲法が明記している「言論・出版の自由」や「学問・芸術の自由」が侵されつつあるのを憂慮せざるをえません。また、日韓両国がようやく慰安婦問題をめぐる解決の糸口を見出そうとしているとき、この起訴が両国民の感情を不必要に刺激しあい、問題の打開を阻害する要因となることも危ぶまれます。
今回の起訴をきっかけにして、韓国の健全な世論がふたたび動き出すことを、強く期待したいと思います。日本の民主主義もいま多くの問題にさらされていますが、日韓の市民社会が共鳴し合うことによって、お互いの民主主義、そして自由な議論を尊重する空気を永久に持続させることを願ってやみません。
今回の起訴に対しては、民主主義の常識と良識に恥じない裁判所の判断を強く求めるとともに、両国の言論空間における議論の活発化を切に望むものです。
2015年11月26日
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