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January 27, 2014

「国家はなぜ衰退するのか―権力・繁栄・貧困の起源」

最近Daron Acemoglu & James.A.Robinson「国家はなぜ衰退するのか―権力・繁栄・貧困の起源」 WHY NATONS FAIL The Origin of Power,Prosperity,and Povertyと言う大部の書物を読み終えた。

<上巻の要旨>
メキシコと米国の国境で接するノガレスという町、韓国と北朝鮮、同じ人種民族が相接して住んでいるのに、発展の度合いに極端な差があるのは何故か?
それは包括的な政治・経済制度が確立されているか否かの差だと言う。黒死病の流行によって、欧州の人口が半減した後の一寸した制度の揺らぎによって、イングランドと東欧諸国では農奴制度が崩壊した地域と逆に農奴制による収奪構造が強化された地域とが分かれたという。マグナカルタと名誉革命によって、絶対主義体制が弱まり、大西洋貿易で力をつけた商人たちの発言権が増し、確立した財産権を基礎に創造的破壊を伴うInnnovationが進み、産業革命に至った。またある程度の中央集権体制も経済社会発展のためには欠かせないが、アフリカ諸国ではそれすらも欠けている。絶対主義のエリートたちは中央集権の確立には寄与するが、自己の権力への挑戦者を産みかねない創造的破壊を嫌う。ロシアや中国が立ち遅れた原因はそこにあり、包括的政治・経済体制が確立していない中で、権力者が交代しても、収奪的経済構造は変わらず、同じように創造的破壊を妨害し、一時期目覚しい発展を遂げるように見えても、発展はそのうち頓挫する(ソ連の例、やがて中国も)と言う。この際の包括的政治制度というのは多元的な民主主義のことであり、包括的な経済制度というのは私有財産権が保障され、人々が創造的破壊を試みるIncentiveに満ちた社会のことらしい。

<下巻の要旨>
長期的な経済発展の成否を左右する最も重要な要因は、地理的・生態学的環境条件の違いでも、社会学的要因、文化の違いでも、いわんや人々の間の生物学的・遺伝的差異でもなく、政治経済制度の違いであると主張する。
包括的inclusiveな政治制度―その極限が自由民主政―と、包括的な経済制度―自由な(開放的で公正な)市場経済との相互依存(好循環)、それと裏腹の収奪的extractiveな政治制度―権威主義的独裁等―と、収奪的な経済制度―奴隷制、農奴制、中央指令型計画経済等―との相互依存(悪循環)と言うメカニズムが存在する。ある社会を支配している制度的枠組みが収奪的であるのか、それとも包括的であるのか、の違いが、その社会において持続的な経済成長が可能となるかどうかを左右する。
第二次大戦後のソ連の高度成長や「改革・開放」以降の中国、一時期の「韓国モデル」の開発独裁下でも経済成長が見られたが、これは後発性の利益(有望な産業が予め分かっていて、先進技術が簡単に移転できる)などの好条件による過渡的なもので持続可能ではない。
収奪的政治制度の下では、仮に包括的経済制度が機能していたとしても、創造的破壊を伴う技術革新への許容度は極めて低い。創造的破壊による新技術、新製品、新産業の出現は既存の産業構造を揺るがし、既得権益に対して破壊的に働く。政治体制を支配するエリートの社会経済基盤が揺るがされることを、収奪的政治制度は許さない。収奪的政治制度の下では、包括的、開放的な経済制度は持続可能ではない。現下の中国の経済発展も、現在の政治体制―共産党の一党独裁の下では長期的には限界に突き当たると予想している。

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January 02, 2014

天児慧早大教授「日中対立―習近平の中国を読む」の紹介

先日、天児慧早大教授「日中対立―習近平の中国を読む」を読み了えた。
尖閣問題は以前から東シナ海に石油ガスなどの海底資源が存在することから、中国は「尖閣は中国領だ」と主張し続けてきたが、それ程強硬なものではなく、日中関係は比較的良好に展開しつつあった(2008年5月の胡錦濤来日時の「『戦略的互恵関係』の包括推進に関する日中共同声明」の締結など)が、2010年9月7日中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した事件以降、急速に悪化し、2012年4月の石原東京都知事の『尖閣買取』発言→尖閣国有化によって、双方とも後に引けない危機的な対立状況が惹起した。
この状況をどう打開したら良いのか? 天児氏は現状維持が最良の策として、中国の尖閣上陸を阻止すると共に、協調協力関係を再構築することを提言している。
「歴史を学び、歴史を教訓とする」と言うが、それはそれ程単純な話ではない。日中戦争にしろ、真珠湾の日米開戦にしろ、また文化大革命にしろ、今から考えると殆どの人々が明らかに「誤った」と判断できる「愚かしい」戦争や事件である。それにも拘らず、それが現実に起こり、多くの人々を悲劇に巻き込む惨状を作り出している。「なぜ起こったのか」「なぜ悲劇を防止できなかったのか」をしっかりと問い、考えることは、それ程簡単なことではない。誰か特定の人物が悪人で、陰謀を企み、そうした戦争や事件を引き起こしたとする「悪玉論」や「陰謀論」で説明することは簡単である。しかし果たしてこうした戦争の歴史の因果関係を正しく説明したことにはならない。
また中国革命の父:孫文のアジア主義に共鳴して、全財産をなげうって彼を支えた宮崎滔天、犬養毅、梅屋庄吉、魯迅と交友があり日中人士の交流を支えた内山完造、周恩来と親交を結び、日中国交正常化に努めた岡崎嘉平太など。不幸な時代、戦争の時代にも育まれ、人の心を感動させる日中の固い絆は忘れられてはならない。
鄧小平の開放政策の成功によって、世界第二の経済大国にのし上がって、19世紀以来西欧列強にに蹂躙されたコンプレックスから解放され、さらには「G2時代」の到来と持ち上げれて、舞い上がり、発展の「中国モデル」が声高に叫ばれるようになった。しかし、甚だしい環境汚染、貧富の格差、汚職、脆弱な社会保障という深刻な矛盾を抱えながら、上から目線の華夷秩序を振り回し、ものすごい勢いで軍備を拡張し、「韜光養晦」の放棄、「海洋強国」の建設にひた走る姿には誰もが「中国脅威論」を感じざるを得ない。かつて鄧小平時代に「国の大小を問わず、平和、平等、公正、互恵を求める」との外交指針はどこへ行ってしまったのか。これからの世界は「米中二極化」に収斂していくほど単純ではない。米国も中国も「超大国」であり続けるには国内外に難題を抱えすぎている。「世界は多極化にむかっている」と言うほうが、「G2論」よりも可能性が高い。世界をリードする大国になりたいのであれば、人類の普遍的価値にのっとり、人類社会の直面するさまざまな問題に真摯に向き合い、それらの解決のために他の国々や人々と手を携えて、献身的な努力を試みる国を目指すべきである。中国の外交哲学の一日も早い転換が求められる。

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