「国家はなぜ衰退するのか―権力・繁栄・貧困の起源」
最近Daron Acemoglu & James.A.Robinson「国家はなぜ衰退するのか―権力・繁栄・貧困の起源」 WHY NATONS FAIL The Origin of Power,Prosperity,and Povertyと言う大部の書物を読み終えた。
<上巻の要旨>
メキシコと米国の国境で接するノガレスという町、韓国と北朝鮮、同じ人種民族が相接して住んでいるのに、発展の度合いに極端な差があるのは何故か?
それは包括的な政治・経済制度が確立されているか否かの差だと言う。黒死病の流行によって、欧州の人口が半減した後の一寸した制度の揺らぎによって、イングランドと東欧諸国では農奴制度が崩壊した地域と逆に農奴制による収奪構造が強化された地域とが分かれたという。マグナカルタと名誉革命によって、絶対主義体制が弱まり、大西洋貿易で力をつけた商人たちの発言権が増し、確立した財産権を基礎に創造的破壊を伴うInnnovationが進み、産業革命に至った。またある程度の中央集権体制も経済社会発展のためには欠かせないが、アフリカ諸国ではそれすらも欠けている。絶対主義のエリートたちは中央集権の確立には寄与するが、自己の権力への挑戦者を産みかねない創造的破壊を嫌う。ロシアや中国が立ち遅れた原因はそこにあり、包括的政治・経済体制が確立していない中で、権力者が交代しても、収奪的経済構造は変わらず、同じように創造的破壊を妨害し、一時期目覚しい発展を遂げるように見えても、発展はそのうち頓挫する(ソ連の例、やがて中国も)と言う。この際の包括的政治制度というのは多元的な民主主義のことであり、包括的な経済制度というのは私有財産権が保障され、人々が創造的破壊を試みるIncentiveに満ちた社会のことらしい。
<下巻の要旨>
長期的な経済発展の成否を左右する最も重要な要因は、地理的・生態学的環境条件の違いでも、社会学的要因、文化の違いでも、いわんや人々の間の生物学的・遺伝的差異でもなく、政治経済制度の違いであると主張する。
包括的inclusiveな政治制度―その極限が自由民主政―と、包括的な経済制度―自由な(開放的で公正な)市場経済との相互依存(好循環)、それと裏腹の収奪的extractiveな政治制度―権威主義的独裁等―と、収奪的な経済制度―奴隷制、農奴制、中央指令型計画経済等―との相互依存(悪循環)と言うメカニズムが存在する。ある社会を支配している制度的枠組みが収奪的であるのか、それとも包括的であるのか、の違いが、その社会において持続的な経済成長が可能となるかどうかを左右する。
第二次大戦後のソ連の高度成長や「改革・開放」以降の中国、一時期の「韓国モデル」の開発独裁下でも経済成長が見られたが、これは後発性の利益(有望な産業が予め分かっていて、先進技術が簡単に移転できる)などの好条件による過渡的なもので持続可能ではない。
収奪的政治制度の下では、仮に包括的経済制度が機能していたとしても、創造的破壊を伴う技術革新への許容度は極めて低い。創造的破壊による新技術、新製品、新産業の出現は既存の産業構造を揺るがし、既得権益に対して破壊的に働く。政治体制を支配するエリートの社会経済基盤が揺るがされることを、収奪的政治制度は許さない。収奪的政治制度の下では、包括的、開放的な経済制度は持続可能ではない。現下の中国の経済発展も、現在の政治体制―共産党の一党独裁の下では長期的には限界に突き当たると予想している。
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