「東京電力研究」―排除の系譜の紹介
著者の斉藤貴男氏は1958年生まれ、早大商学部、英国バーミンガム大学を卒業後、日本工業新聞記者、プレジデント編集部、週刊文春記者など経て独立したジャーナリスト。
福島原発事故から1年半、東電、原子力ムラの醜態が明らかになるにつれて、名経営者の誉れ高かった木川田一隆や蔵書3万冊と言われる財界屈指の教養人といわれた平岩外四などがトップを担った東電が何時の間にこのような体たらくに堕してしまったのか、疑問が深まるばかりであった。
立花隆の「田中角栄研究」の向こうを張るような書名のこの本はこの疑問に答えようとしている。中でも木川田さんは我がゼミの先生である猪木教授の恩師であった理想主義的自由主義者:河合栄治郎先生に傾倒し、東電の社長時代には経済同友会で「企業の社会的責任」を唱導した。その意味では猪木ゼミ生の小生らにとっても因縁浅からぬ御仁である。
処がフランケンシュタインのような怪物:東電を産み出した経営者が、予見しうるような過失を見逃すような無能者でもなく、悪意を持った背徳者でもない、むしろ先見の明があり、人品卑しからぬ木川田と平岩が経営の中枢にあった時代に九電力体制が確立し、左翼の牙城であった電産をレッドパージを通じて排除しつつ、東電学園を設立、強力な社員教育によって、自分たちが理想とする従順な中産階級的社員を大量に作り出していった。そのおうな労使協調路線を通じて主力発電の原発への転換がなされ、原子力ムラが形成され現場の下請け化が進行したと言う。そのような磐石の体制構築のなかで、自由闊達な開かれた社風、チェック機能、批判を受け入れる柔軟性が失われていったと言うのは何とも皮肉に思える。この異質なものを許さない「排除の論理」は大なり小な
りどのような集団グループにも見られる現象ではある。
しかし木川田氏はこの弊害に気づき、死の九ヶ月前の記者会見で東電が巨大化し過ぎてコントロール不能に陥っており、官僚主義の弊害が出ているとして、硬直化した組織を神奈川県電力、東京都電力、埼玉電力など配電エリアを細分化すべきだと話したと言う事実にはある種の救いのようなものを感じた。
閑話休題、東電が保守論壇のタニマチ的役割も果たしており、反共文化人集団の日本文化フォーラムを援助しており、そこにはCIAやその別働隊であるフォード財団からも豊富な資金が提供されていたと言う事実も始めて知った。
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