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July 25, 2012

「物語 近現代ギリシャの歴史」(中公新書)紹介。

村田奈々子法政大学講師「物語 近現代ギリシャの歴史」読了。
現在ギリシャは財政破綻でユーロ経済圏全体を危機に巻き込んでいる。EUのお荷物でしかない怠惰なギリシャ人というステレオタイプ化したギリシャ人像が果たして正しいのかと言う問題意識にこの書物は迫っている。
1453年のイスタンブール陥落後、イスラム教国のオスマントルコの属国にされてしまい、古代ギリシャ伝来のアイデンティティを辛うじて保っていたギリシャ人の歴史が寸断されてしまったように見える。
本書は欧州人たちのギリシャは欧州文明揺籃の地との思いからギリシャ再興は欧州人の夢となって、バイロン初め義勇軍がギリシャにはせ参じ1821年ギリシャ独立戦争が始まった。しかしウィーン体制の維持を目論む欧州列強の政府当局は民間のギリシャ独立運動には不介入の立場を取っていたが、英国が長引くギリシャ軍とオスマン軍との戦闘は東地中海貿易に損害を齎し始めたので、ロシアと組んで事態収拾に乗り出した。1826年4月ペテルブルグ議定書によってオスマン帝国に属する自治国となることが認められた。その後の露土戦争によるロシアの勝利によって、ロシアの影響力拡大を恐れた英仏によってギリシャの完全独立の道が開かれた。しかしコンスタンチノーブルを含むビザンチン帝国の版図を獲得してギリシャ民族の栄光を回復しようと言う「メガリ・イデア」
の夢は列強の反対とトルコ軍の優勢に阻まれて挫折する。
言語でも国内が分裂状態になる。すなわち古代ギリシャ語と口語ギリシャ語の折衷語であるカサブレサ(文語)と実際に使われている民衆語ディモティキのどちらを国語として採用するかでも国論を二分し、暴動も起きた。
また第一次大戦でも中立を主張する王党派と戦う政治家ヴェニゼロス首相派に国論が分裂する。
さらには第二次大戦中はドイツ軍に占領され、それに抵抗する主体となったEAM/ELASが共産党の影響下にあり、戦後のギリシャが共産化することを恐れたチャーチルが共和党右派のEDESを育て、EAM/ELASに対する勢力に仕立て上げようとした。これに危機感を抱いたEAM/ELASは他の抵抗勢力の殲滅に乗り出した。これに乗じたのがドイツ占領軍の傀儡政権の治安部隊である。かくしてギリシャ国内で兄弟殺しが横行した。やがてドイツ
軍が撤退した後には白色テロと左翼勢力の内戦が更に激化する。1949年グラモス山での戦いを最後に民主軍は敗走し、内戦が終結する。内戦終結後は右翼政治家による支配体制がしかれる。その後中道政党のパパンドドレウが政権に就き、つかの間の改革を進めるが、国王に罷免され、さらにはクーデタによって軍事政権が生まれる。キプロスへのトルコ軍進出を阻めなかったことで、軍事政権も行き詰まり、1974年民主政が復活した。そのとき亡命先のパリから帰還したカラマンリスが新民主主義党NDを結成して、一方パパンドレウが率いる全ギリシャ社会主義運動PASOKがその対抗勢力となった。
ND政権のカラマンリスは穏やかな景気浮揚策をとった。支持者たちは彼を民主政復帰後のギリシャ再建に取り組んだ、厳格で仕事熱心な父親のような存在とみなした。一方パパンドレウは父親も首相を経験した名門一家の出身で、人懐こい性格。PASOKの漠然としたスローガン「変革」は新しい政治を期待していたギリシャ人の共感を呼んだ。パパンドレウも「特権なき人々」のためにインフレ率が20%を超える中で、賃金スラ
イド制や金融緩和策をとって、国民に気前よく再配分することを躊躇しなかった。個人消費支出の刺激、国営企業支援、手厚い健康保険・年金制度のためにふんだんに資金が供給された。
このような施策は古代ギリシャ人の栄光とギリシャの置かれた悲惨な状況との自己認識の乖離に悩みながら、列強の勢力均衡策と身勝手な介入の所為もあって、長い間国民の分裂状態を克服できず、深い社会的亀裂を生んだギリシャ社会の傷を修復するために必要な措置であったのかもしれないが、ハーバード大学で経済学の学位をとり、UCLAバークレーで教鞭をとった経済学者として、その危険を認識できなかったのだろうか?
同じく「政権交代」と言うあいまいなスローガンで幻想を呼んだ民主党政権となんとなく似ているような気もするが、不人気を覚悟で消費税増税に突き進むあたりはまだ救いがあると言うことだろうか? 

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