レインボーブリッジを歩いてお台場へ
先日(9/27)、学生時代のクラスメートとレインボーブリッジを歩いて渡ると言う阿呆なイベントを試みた。
<レインボーブリッジを歩いて渡る>
1000発の「ゆりかもめ」に乗車。4つ目の「芝浦埠頭」で下車。5分ほど歩くとレインボーブリッジの遊歩道に登るエレベーターがある。車だとあっという間に通り過ぎるレインボーブリッジを歩いて渡ろうなどという酔狂な試みは、このような集団でやらないとアホくさくて、一生やりそこなうと思い、あえて企てたものであるが、エレベーターには何とキャリーバックを引きずった中年のオジサンが乗ってきた。聞きただしたわけではないが、多分出張の仕事が終わって、何か面白いことはないかと考えた挙句、この酔狂な試みを個人で企てたものと思われる。こういう何時までも少年のような好奇心を失わない行動はきっと仕事の面でも良い成果を生むと思われる。密かに拍手喝采である。
想像では海の上数十メートルの遊歩道をのんびりと歩くのはさぞ快適であろうと考えていたが、案に反して、重量トラックがどんどん駆け抜けて行き、排気ガスも気になって、落ち着かないし、快適には程遠い。参加者の一人は鼻口にタオルを当てっぱなしであった。
我々は橋の両側にある遊歩道のうち南行ルートを選んだが、このサイドからはお台場の如何にも未来都市群と言う佇まいのビル群とお台場遺跡が良く見え、中々の景観である。遠くには品川と大井のコンテナ・ターミナルや羽田空港、東京湾アクアラインの排気塔などが見える。
<第三お台場公園>
1.6キロのレインボーブリッジを渡りきったところに第三お台場公園がある。
これは嘉永6年(1853年)アメリカ艦隊来航にあたって海防の必要を認めて江戸幕府が韮山代官江川太郎左衛門に命じて築造した台場のひとつである。陣屋や弾薬庫がの痕跡がよく残されているとして、無人島と化している第六台場とともに1926年(大正15年)10月20日に「品川台場」として国の史跡に指定された。
一辺が約160mの正方形で、石垣積みの土手や砲台跡、内側の平坦なくぼみには、陣屋、弾薬庫跡などがある。比較的人も少なく落ち着いた雰囲気のお勧めポイントである。
デックス東京ビーチやフジテレビなどを対岸から間近に眺め、北側ではレインボーブリッジを眺めることもできるロケーションはムード満点。
<お台場海浜公園>
第三お台場公園を出て、人工ビーチのお台場海浜公園を歩く。公園では仮設の観覧席を組み立ているので、これは何かと確かめたところ、ビーチバレーの国際大会が開催されるとか。
人工ビーチを半周したところで、丁度昼になったので、「デラックス東京ビーチ」と言う物品店と飲食店が沢山入っているビルに入り、オムライスとビールの昼食をとる。キリンの生ビールは中々美味かった。
このビルの中にティーンエイジャーまがいの女の子の長い行列が出来ている。しかもそれはビルの外まで及んでいる。ウィークデイの昼間だと言うのに何事かと聞いてい見ると、エグザイルという居酒屋に入る行列だと言う。エグザイルというのは耳にしたことがあるなあと思って、あとで確かめたところ、『ビアガーデン形式の「居酒屋えぐざいる」と「駄菓子屋えぐざいる」を期間限定でここにオープンした。ダンスボーカルユニットのEXILEのメンバー14人全員が新メニューを考案。企画段階からメンバーがアイデアを出し合ったオリジナルメニューは“LOVEオムレツ”など全14品。ダンスボーカルユニットのEXILEのメンバー14人全員が新メニューを考案。企画段階からメンバーがアイデアを出し合ったオリジナルメニューは“LOVEオムレツ”など全14品』と言う。
報道もされず、しかしブームになる現象が彼方此方にあるらしい。
デラックス東京ビーチを出て、船の科学館まで歩く。丁度良い距離だ。
船の科学館は、お台場地区にまだ何もない1974年(昭和49年)7月に竣工・開館した海洋博物館。2011年9月30日を以て大半の施設が休館(閉館に近い状態)となり、屋外に展示されている青函連絡船も処分されるとの報道があり、その前に行っておかねばなるまいと言うのが今回のレインボーブリッジ徒歩で渡るプロジェクトのもともとの動機であり、その意味で最終目的地でもある。
船舶や海運、海洋開発、海上保安に関する事柄を中心に展示する海事博物館である。船舶の構造・歴史の解説や、エンジンなど各種機器の展示を行っているが、羊蹄丸の展示は青函連絡船の活躍した時代の青森、函館の闇市の様子など、生活感あふれる仕掛けが随所に施され、郷愁を誘うに十分であった。
船の科学館の見学は中々力があり、見学が終わった頃には1630を回っており、各々東西に分かれて、帰途についた。
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