「梅棹忠夫語る」(日経プレミアシリーズ)読了。
梅棹忠夫は平成22年7月3日に亡くなったが、その直前に国立民族博物館での後輩同僚小山修三氏を座談の相手として遺したのがこの書物である。全編梅棹らしい独創的なロジックが披露され、相手かまわず切りまくる毒舌が心地よい。
和辻哲郎の「風土」は間違いだらけの本だとこき下ろしたかと思うと、稀代の大政治学者と言われている丸山真男が京大に講演に来た時、途中で席を立ってしまったという。「こんなあほらしいもん、ただのマルクスの亜流やないか。ただマルクスを日本に適用しただけのことで、何の独創性もない」」って嘯いて、桑原さんに「ああいうことをやっちゃいかん。あれは、東京で偉いやぞ」と、たしなめられたとか。また最近また評価が高まっている新渡戸稲造の「武士道」については、「読んでへん」とにべもない。
「自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分の頭で考える、これが大事や」。「あいつは足で学問しよる。学問は頭でするもんや」と批判されて、「頭でするもんやということは、ひとの本をよめということやな」と反論している。その辺が丸山真男など単にマルクスの亜流と言う評価に繋がるのだろう。
「梅棹のいうことは単なる思いつきにすぎん」といわれても、「わたしに言わせたら、思いつきこそ独創や」と動じない。また「できない人間ほど権威をかざす」として、「権威でのぞんでくるのが一番嫌いや」とも。全編このような痛快な言葉が書き連ねられている。
そのような考え方や行動は三高山岳部の伝統・気風によって培われたものであろう。三高山岳部では新入生からいきなり、先輩にいっさい敬語をつかってはいけない。「さん」もいかん、全部呼び捨てだったという。その気風は何となく私が勤めていた日本郵船の気風に似ている。あの会社では「社長」「会長」「部長」などとは絶対に言わなかった。全て「菊池さん」「宮岡さん」などと「さん」づけで呼んでいた。何となく懐かしさを感じる。
いずれにせよ、一読を勧められる書物である。また第二次世界大戦の敗戦で打ちひしがれた日本人に向かって、「日本文明はたった一度の失敗で消えてしまうほど脆弱なものではない。自信を持って進むべきだ」と言い続けたとも言う。閉塞感に苛まれる今の日本人にも勇気づけられる言葉である。
是非一度吹田の国立民族博物館に行ってみなければ、・・・・・。
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