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December 29, 2010

映画「最後の忠臣蔵」

 師走と言えば忠臣蔵のシーズンですが、先日映画「最後の忠臣蔵」を鑑賞してきた。
 吉良邸討ち入りの前夜逐電し、仲間から卑怯者と非難された孫左衛門が、古物商に身をやつしながら、京都の郊外に身を潜めて大石内蔵助の遺児の姫「可音」を育て上げ、豪商「茶屋」に嫁がせた後、赤穂浪士の17回忌法要の日に自刃すると言う筋書きだが、これは史実なのだろうか?
 また5万3000石、藩士300人の赤穂藩のお家取り潰しといえば、中小企業の倒産みたいなものだが、吉良邸討ち入りに参加した四十七士以外の藩士たちの主たる再就職先の多くが京都の公家侍だったというのも、この映画を見るまで知らなかった。
 身分は低いが武士道の理想とされた忠義を密かに践行する主人公「孫左衛門」の気高い姿はみる者の魂を震わせる。役所宏司が孫左衛門を好演している。

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December 27, 2010

細川護煕元首相の著作を読む

 細川護煕元首相の著作「跡無き工夫―そぎ落とした生き方」読了。
 以前は彼のことを彼の祖父でもある近衛文麿首相のように、面倒なことがあると直ぐ投げ出してしまうひょっとしたら無責任な殿様ではないかと思っていたが、首相在任中の日記を編集した「内訟録」を読んで、その印象が完全に間違いであることを発見した。こう言う「退を好むもの」こそ、もっと長く宰相を続けて欲しかったと思い直した。 
 その後引退後の心境を記した「跡無き工夫」の「自然の中で気高く生きた先人たちに思いを馳せ、政界引退後は湯河原の草庵に暮らし、自らの魂と向かい合う」著者の豊かな人生哲学をを知り、これこそ精神の貴族であり、この人をありきたりの政治資金スキャンダルで葬ってしまった日本の政治風土の罪深さには胸が痛んだ。
 また
・延命治療はしない。
・葬式無用
・告知不要
・埋葬は南禅寺の細川家の墓に(小生は学生時代南禅寺真乗院と言う塔頭に下宿していた)
・叙位叙勲の類は固くお断り
 と言う遺言は清々しく、参考としたい。

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December 08, 2010

百田尚樹「永遠の0」を読む。

百田尚樹「永遠の0」読了。日本軍敗色濃厚な中、生への執着を臆面もなく口にし、仲間から「卑怯者」とさげすまれたゼロ戦パイロットの物語。しかも凄腕で、縁あった人たちからは「人間味あふれる神のような」人として慕われた人物像が描かれている。登場人物は「大空のサムライ」坂井三郎など実在の人物ばかり。「この作品はフィクションです。実在の組織、人物とは一切関係がありません」と断られているが、本当にモデルはないのだろうか? 沢山の特攻隊生き残りに感銘と敬意を留めるこんな素晴らしい人物が実在したとしたら、驚きである。長崎に原爆が投下された後、出撃した特攻攻撃で敵の圧倒的に優勢な迎撃戦闘機の攻撃と対空砲火を掻い潜り、敵艦に体当たりしたが、爆弾は不発。残された死体に米艦長は日本の「空のサムライ」を敬意を持って、水葬に付するように命じるが、本気で対峙した敵への敬意を払う米国人のナイト精神にも感銘を受けた。翻ってこの種の話を全く耳にしない中国人には武人の魂がおよそ存在しないだろうか?

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December 07, 2010

ノーベル賞授賞式と矢野教授のこと

ノーベル賞受賞式の頃になると、何時も、セクハラの汚名を着せられたままウィーンで失意のまま客死した矢野暢京大教授のことを思い出す。池田創価学会名誉会長のノーベル平和賞受賞に反対したので、創価学会にはめられたとも聞いた。果たして真相は如何だったのだろうか? 
 矢野教授は猪木ゼミの2年先輩であり、学生時代から懇意にして戴いた。福井謙一教授のノーベル賞授賞式に同行を頼まれ、そこでノーベル財団との縁が出来て、日本人としての選考委員の一人となったようだ。人生何が災いとなるか分からない。禍福はあざなえる縄の如しである。
 その才気煥発ぶりは「フローの文明・ストックの文明」を読むと良く分かる。矢野さんはフローの文明たる日本文明の凄さを論じたが、元気を失った今の日本を見たら、何と言われるだろうか? 
 何れにしろ、惜しい人を亡くしたものだ。

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