ガルブレイスの「バブルの物語」を読む―バブルの崩壊は20年おきに起きる
偉大な業績から「経済学の巨人」と評されたジョン・K・ガルブレイスは1987年10月19日のブラック・マンデーの株価大暴落の後の1990年に"A Short History of Finacial Euophoria"と言う著作(日本語訳「バブルの物語」ダイヤモンド社刊)を世に問うた。
Euphoriaと言うのは英和辞典では「根拠のない過度の幸福感」とか、「(俗語として)(麻薬による)陶酔感」などと書かれている。わが国での1989年末に頂点に達した投機の時代に「財テク」と言う言葉が流行し、株式にしても、不動産にしても、投資すれば必ず値上がりして、「一億総投機」などと言われたものであるが、あの頃の人々の有頂天になった楽観的な気分が、まさにEuphoriaと言うにふさわしい状況であっと言えよう。
昨年から表面化し始めた米国のサブプライム融資問題から波及した金融危機は「100年に一度の事態」とされ、世界中がその対策に奔走している。
しかし、ガルブレイスのこの著作によると、相場の急騰と暴落は通常20年おきに起きると喝破している。世界的な金融危機に直面している今日、この論文は示唆に富むと思われるので、概略を紹介することとしたい。
<投機のメカニズム>
資本主義経済では投機と、その後に続く市況の暴落は繰り返し起こる傾向があり、バブルの崩壊は資本主義の運動法則の必然的な結果であるというのが、ガルブレイスの基本的な認識のようである。
投機のメカニズムに共通する特徴のうちでもかなりはっきりしているものは、オランダのチューリップ、ルイジアナの金、レーガンのすばらしい規制緩和政策など一見新規で望ましい事態の展開が金融の才のある人々の心を捉える。投機の対象となったものの価格が上がる。証券、土地、美術品、その他の資産は今日買えば明日はもっと価値が高くなる。こうした価格上昇とその見通しが、さらに新しい買い手を惹きつける。新しい買い手があれば、一層の価格上昇が保証される。そこでさらに多くの人が惹きつけられる。より多くの人が買う。価格上昇が続く。いわば投機に対する投機が盛り上がって、弾みがつくと言う。
このような投機に参加する人には二つのタイプがあると言う。第一のタイプは、何か新しい価格上昇の状況が根付いたと信じるようになり、市価は下がることなしに際限なく上昇を続けるであろうと期待する。つまり、市価は新しい状況―収益および価格が引き続き大幅に増大するような新局面―適応しつつあるのだと考える。グリーンスパン前FRB議長も「IT革命によって、景気変動幅が著しく減少し、好況が持続するようになった」と主張して、バブルの拡大を煽ったのも記憶に新しいし、1929年秋の大恐慌直前にエール大学の経済学教授のアービング・フィッシャーは「株価が永久的に高い高原状態と見ても良さそうな水準に達した」と述べた。金融界首脳も高名な経済学者も投機の運動法則をまるで理解していない状況を雄弁に物語っている。
第二のタイプは、第一のタイプの人よりも、保守的で、また概ね少数派である。彼らはその時の投機のムードを察知する。そして上昇運動に便乗する。自分は格別の才能を持っているので、投機が終わる前に手を引くことが出来る、と確信している。価格上昇が続いている限りは最大限の利益が得られるであろう、来るべき反落の前に手を引けばよい、と考えるのである。
こうした投機の状況は、いずれ反落に転じざるを得ない。また、その反落が静かで、なだらかに来ることはありえない。絶対に確実なことは、この投機の世界はささやきによってではなく、大音響によって終末を迎えるということである。
反落が起きると、暗い破局となる。第一のタイプの人も第二のタイプの人も、反落に際しては早く逃げ出そうと一斉に動き始めるからだ。上昇気流に乗っていた人は、今こそ脱出の時だと決心する。価格上昇が永久に続くと思っていた人は、自分の幻想が突如打ち砕かれたのを見て、売りに出る。そこで崩壊が起こるという訳だ。
<何故人々は投機の罠にはまり込むのか?―暴落の前には金融の天才がいる>
人々を投機の陶酔的熱病(Euphoria)に陥らせる要因が二つある。その第一は金融に関する記憶は極度に短いとということである。その結果、金融上の大失態があっても、それはすばやく忘れられてしまう。金融上の記憶というものは、せいぜいのところ20年しか続かない。ある大きな災厄の記憶が消え、前回の記憶が何らか装いを変えて再来し、それが金融に関心を持つ人の心を捉えるにいたる、と言うまでには通常20年を要する。この20年と言う期間は、新しい世代の人が舞台に登場し、新世代の革新的な金融の天才に感銘するに至る、と言うまでに普通要する期間であると言う。
しかし、金融上の操作はおよそ革新にはなじまないものである。その時々に革新的と喧伝されるものは、例外なしに、既成のやり方をわずかに変えてみただけのものである。金融に関する記憶が短いと言うことの故に、何か新規らしく見える言うだけのことなのである。しばらく前まで、持て囃されていた米国の金融工学上の素晴らしい発明と言うのも、蓋を開けてみれば、証券化やCDSなどを梃子(Leverage)にして、過度の信用創造に走り、それがパンクしたに過ぎないと言う実態が見えてくる。
第二の要因は、金と知性とが一見密接に結びついているように思われていることである。資本主義社会においては、個人の所得とか資産と言う形での金が多ければ多いほど、彼の経済・社会観は深くしっかりしており、彼の頭脳の働きは機敏で鋭い、と考える強い傾向がある。金こそ資本主義的成功の尺度である。金が多ければ多いほど、成功の度合いも大であり、その成功の土台となっている知性も優れている言うわけだ。
この二つの要因が相まって、金融の天才に魅惑された大衆が我勝ちにと投機の罠に巻き込まれていくのである。
投機の運動法則についての紹介はこれ位にして、次にガルブレイスが論じている歴史的暴落事件の内、有名な三つの事件の概要を紹介することとしたい。
<チューリップ狂時代>
チューリップはユリ科のチューリップと言う学名を持つ植物であって、約160の種類があり、地中海東部およびそれ以東の国々に自生している。チューリップが最初に西欧にもたらされたのは16世紀のことである。まもなくこの花は非常に高く評価されるようになり、チューリップの所有・栽培は大変な名声を博するようになった。
そしてこの花のうち格段に良いものを観賞することからさらに進んで、その美しさと希少性とに起因する価格上昇がありがたがられるようになった。まさに価格上昇の故にチューリップが買われるようになり、1630年代の中ごろになると、価格上昇に際限がないように思われた。
われ先に投資しようと言う動きがオランダ全体を呑み込んだ。多少なりとも感受性のある人は誰しも、自分だけが取り残されてはならないと思った。価格は途方もなく上昇した。
1636年になると、それまで大して価値があるとは思われなかったような球根一個が「新しい馬車1台、葦毛の馬2頭、そして馬具一式」と交換可能なほどになった。セイバー・アウグストスという品種の球根1個は3000フローリン、今なら5万ドル(500万円弱)と言う想像を絶する価値を持った。
アムステルダムには株式市場内に常設の市場が設けられた。はじめの内は信頼感が最高の状態にあり、全ての人が儲けた。貴族、市民、農民、職人、水夫、従僕、女中、さらには煙突掃除夫や古着屋のおばさんまでがチューリップに手を出した。あらゆる階層の人々が財産を現金に換えて、この花に投資した。
1637年に終末が訪れた。どういう理由かわからないが、賢明な人や神経質な人が手を引き始めた。彼らが去っていくのが他の人々にも分かった。殺到した売りはパニックとなった。価格は断崖を滑り落ちるように暴落した。これまで買っていた人は、その多くが資産を担保にして、借金をしていた―これも梃子である―のであるが、突然一文無しになり、破産した。「裕福な商人が乞食同然となり、多くの貴族の家産が回復不能の破産に陥った」。
<南海泡沫会社の騒動>
「南海会社」は1711年に設立された。当時の大蔵大臣であったオックスフォード卿、ロバート・ハーレイ伯爵の「頭脳プレー」の産物であった。戦費がかさんで、火の車の財政事情を何とかしようと知恵を絞った成果である。
ここで言う南海とはスペイン領の南米のことである。南海会社は、この新天地との独占取引権を付与された。その結果として、同社の手元に転がり込む収益に対して税金をかければ、歳入の面からも国庫は大いに助かる。これで財政問題は一気に解決だ。これがハーレイ伯爵の構想だった。
メキシコやペルーの金鉱・銀鉱に無限の富の夢を託して、人々は雪崩を打って南海会社株の獲得に走った。わが国のリクルート事件の時のように南海会社の株式が主要な閣僚に贈与されたこともあったと言う。
とてつもない勢いで株価が舞い上がっていく。1720年の1月には約128ポンドであったのが、3月には330ポンドになり、6月には890ポンドへ上がり、夏には1000ポンドにまで上昇した。僅かな資金しか用意できない庶民たちも、どんどん南海会社フィーバーに巻き込まれていく。これほど多くの人が突然これほど金持ちになったことはそれまでなかった。
しかし、その後株価は暴落に転じた。その原因の一部が社内の人や会社幹部の利口な利食い売りだったことは疑いない。9月になると株価は175ポンドに下がり、12月には124ポンドになった。これは高値の1/8の水準である。まもなく責めを帰すべき犯人の追及が始まったが、後の祭りであった。
<1929年の大恐慌>
1929年の大恐慌はガルブレイスの評価によると、1066年のノルマン人のイングランド征服、1776年のアメリカ独立、1914年の第一次世界大戦勃発、1945年の第二次世界大戦終結、1989年の共産主義崩壊に並ぶ歴史上の大事件であると言う。 1929年の重要性は、その年に起こった投機の崩壊が格別に壮大であることにもよるが、むしろそれ以上に、この崩壊が引き金になって米国および全世界の工業国は資本主義がそれまで経験したことのない最も極端で永続的な危機に突入したことによるものである。FRB前議長のグリーンスパン氏が「100年に一度か、50年に一度の事態」と表現したのも、1929年の大恐慌を連想したものに他ならない。
1920年の陶酔的なムードが最初に見られたのは、ウォール街ではなく、フロリダにおいてであった。20年代中ごろにおけるフロリダの大不動産ブームがこれである。気候温暖なフロリダの風土に人々が惹きつけられた。土地の区画を買うのに、頭金として10%ほどの現金を支払えばよいというシステムの導入による梃子(Leverage)が働いた。土地購入の波があるたびに、次の買いを誘発した。投機が本格化した1924~25年には地価が数週間で倍増すると期待されるほどであった。負債がこれほど急速に消えてしまうとすれば、誰がそれを心配する必要があろうか? この辺も今回のサブプライム・ローン騒動の値上がり期待と瓜二つである。
1928年になると投機のムードと熱狂は、フロリダからウォール街にと舞台を変えた。この年に株価が現実的な本来の価格にに別れを告げたように見える。1929年の夏になると陶酔的熱病の特徴がはっきりと見られるようになる。個人投資家または機関投資家およびその投資顧問が価格はまだまだ上がると確信していたが故に、株価は上昇していたのであるが、予想通り上昇していると分かれば、それが一層の株価上昇をもたらすことになった。ここでも梃子が大々的に利用された。10%の証拠金で株を買うことが出来たからである。
しかし、この陶酔的熱病も長くは続かなかった。1929年の10月21日の週の市場は何時もより多い出来高を伴った安値で始まった。水曜日になると状況は一層悪化した。木曜日は暴落の初日であった。その後大銀行家たちが談合し、株価安定の買いに乗り出して、事態は一時的に好転したが、その信頼感は週末には蒸発してしまった。週明けの月曜日には大量の売りが出た。10月29日木曜日は取引所始まって以来の最悪の日であった。殺到する売りに対抗したり、売り遅れとなったらしい事態を押しとどめるものは何もなかった。NYダウは381ドルの最高値から42ドルまで89%も下落した。
<自動安定補正装置の霊験は機能するのだろうか?>
サブプライムローン問題を発端とする今回の株価大暴落は、グリーンスパン氏が言うように、「100年に一度か、50年に一度の事態」で、1929年の大暴落のように世界全体を極端で永続的な大不況に叩き込むことになるのであろうか?
これに対する回答として、ガルブレイスは―今回の大暴落についてではなく、1987年10月19日のブラックマンデーについて論評したものに過ぎないが―下記のような予言を残している。
「暴落が起きても、その経済的効果は1929年のそれほどひどくはないであろう。昔と今とでは、大きな変化が生じていたのだ。すなわち、社会福祉制度、もはや農業が経済の主力ではなくなっているのに農業所得支持政策がとられていること、労働組合によって賃金が下支えされていること、銀行のための預金保険(および貯蓄・貸付組合についての同様な制度)、経済活動の水準を支えるべく政府がケインズ的な意味で広くかかわっていること ― 全てこれらは1929年の暴落の時には存在しなかった―などが経済に弾性を与えていて、その結果、深刻で長期化する不況が来る危険はそれだけ小さくなっている」と。
近代経済学の標準的な教科書であるサミュエルソンの「経済学」の中でも、この自動安定補正装置(Build-in Stabilizer) について、詳しい記述がある。サミュエルソンが米国の自動安定装置として、挙げているのは下記の4つである。
①租税収入の自動変動
累進課税制度によって、インフレ的な時期には財政収入が増え、不況期にはそれが減る傾向をもっていることが、景気循環を緩和する要因となる。
②失業補償金およびその他の福祉的移転項目
雇用不振の年には失業保険金給付によって、消費を支え、景気の悪化を和らげる。
③農家援助計画
不況で農産物の価格が下がると、政府は農民に現金を支払い、余剰農産物を買い上げる。インフレで農産物価格が上がりだすと、政府は倉庫の農産物を吐き出してドルを吸い上げる。これが景気変動にクッションの役割を果たす。
④法人貯蓄と家計の貯蓄
株式会社は短期的な所得変動がみられる場合でも、配当支払額を維持すると言う習慣と、それに備えるための会社の留保貯蓄が景気変動に対する緩衝の役割を果たす。また家計は所得が上昇しても、急には生活水準を上げようとはしないし、所得が減っても、生活水準を引き下げるのは難しく、貯金を切り崩す傾向がある。しかし、これは潤沢な貯蓄がなければ機能しない。
レーガン、サッチャー時代の新自由主義を標榜する経済改革によって、これらの自動安定装置が相当に毀損している面がないではないが、願わくは残った自動安定化装置とケインズ的な財政出動が有効に機能し、世界経済が一日も早く回復することが望まれる。
翻って、わが国の株価動向を振り返ってみると、戦後、日経平均の高値から安値までの下落率で最も高かったのは63%で、過去2回ある。1回目は1989年12月の高値3万8915円から92年8月の安値1万4309円まで、下げた時。2回目はITバブルのピークだった2000年4月の高値2万8261円から、2003年4月の安値の7607円までである。
1929年10月29日の大暴落が89%(NYダウ)の下落率で、南海会社の株価大暴落が88%であったことを思い起こすと、確かに何がしか自動安定装置が働いているのかもしれない。それに希望を託したい。
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