マッカーサー元帥は究極のマザコン
前に岡崎久雄元駐タイ大使の「吉田茂とその時代」の言う本のことを紹介した。 その本筋の議論とは関係ないが、その中に面白いくだりがあったので、紹介しておく。 その中で吉田茂の交渉相手であったマッカーサーの人となりついて下記のように記されている。
「マッカーサーは一言でいえば最高の軍事エリートであり、米国社会のトップ・エリートであった。
ウエストポイントの陸軍士官学校では、4年間つねに首席で通した。その陰には母親ピンキーの努力があった。ピンキーは数学、英語、歴史を彼に教えて、ウエストポイントの入学試験に合格させ、入学してからも、夫から離れてウエストポイントのホテルに一室を構えて、毎晩30分は一緒に過ごしたという」。日本で流行している父親の単身赴任などまだまだ生ちょろいと思ってしまう。
教育ママとかマザコンと言うと、現在の日本ではマイナス表現であり、マザコンと言うと何となくナヨナヨとした頼りない男を連想してしまうが、マッカーサーを見ると、マザコンでも逞しい男に育ちうると言う実例があると考えさせられた。
また古代の英雄ユリウス・カエサルも「母の愛情を満身に浴びて育った。生涯を通じて彼を特徴づけたことの一つは、絶望的な状態になっても機嫌のよさを失わなかった点であった。楽天的でいられたのも、ゆるぎない自信があったからだ。そして、男にとって最初に自負心をもたせてくれるのは、母親が彼に注ぐ愛情である。幼児に母の愛情に恵まれて育てば、人は自然に、自信に裏打ちされたバランス感覚も会得する。そして、過去に捕らわれずに未来に眼を向ける積極性も、知らず知らずのうちに身につけてくる」と、「ローマ人の物語の著者:塩野七生女史も書いている。
母の力はまことに偉大であると考えさせられた。この母なくして後のマッカーサー元帥がなかったことは確かだからである。
ただ、母の愛の被害もあった。マッカサーは青年時代、「長身でハンサム、将来を嘱望されているされてる」とあって、物凄くもてたらしい。しかし、母親との共同作戦でこの結婚の罠を次々とくぐり抜けたという。その結果、彼は女性との普通の愛を育むことを学ばず、60歳近くになって、ジェーン夫人と出会うまで幸せな家庭生活を経験出来なかったと言う。
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