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December 17, 2007

原子力ルネッサンスの到来―地球温暖化問題解決の切り札

 地球温暖化現象が身近に実感できるようなった昨今、我が国は「京都議定書」で約束した二酸化炭素排出量の削減目標である1990年から2010年の20年間で高々6%減少も実現できず、かえって増やしてしまった。それを「今後ほぼ40年間で50%も減らす為には、どういう策があるというのか」素人なりに考え込んでしまう。
  提案者の日本には、その対策は未だに何も提示していないが、世界は着々と準備を進めているように見える。米原子力規制委員会は個々数ヶ月のうちに7立地、12基の原子炉の新規建設計画申請を受け付けると見られており、更に来年には11立地、15基の原子炉建設計画を審査する準備を進めている。これは30年ぶりの原発新規建設計画の申請だという。石油・天然ガスの高騰や地球温暖化問題を背景に、世界は「原子力ルネサンス」の時代に入ったと言われる所以である。

<原発冬の時代―スリーマイル島とチェルノブイリ>
 西側諸国では破滅的な放射能汚染に曝されたことはないけれども、原発の安全性については数々の汚点がつきまとっている。1986年のソ連、現在のウクライナでのチェルノブイリの原発事故は欧州全体に放射能を撒き散らし、西欧諸国の原子力産業を絶望の淵に追い込んでしまった。それより前1979年に発生した米国ペンシルバニアのスリーマイルズ島の原発事故は原子炉が過熱し、溶解し始めて、チェルノブイリ事故と同様の危険な状態に陥る寸前であった。これよりも規模は小さいが、安全が脅かされる事件や疑惑が英国、ドイツ、スウェーデンを含む多くの国で発生している。また我が国では中越地震によって原子炉から少量の放射性物質が漏れたのも記憶に新しい。
 このスリーマイルズ島とチェルノブイリの原発事故によって、原子力産業は壊滅的な打撃を受けた。一般民衆は恐怖に脅え、原発産業への規制は強化され、コストは増大した。赤字を垂れ流す原発会社を救済するために、何十億ドルもの公費が投入された。原発会社は嘘つき、秘密主義、税金泥棒の代名詞となった。20年もの間、政府も銀行も原発と関わりを持とうとはしなかった。


<原子力ルネッサンスと石油依存脱却>
 今、原子力産業に第二のチャンスが訪れようとしている。原発回帰が最も鮮明なのは上述のように米国である。もし上記の原子炉建設計画がすべて実現すれば、原子炉基数は3割増となる。米国では石炭火力が総発電量の50%を占める。原子力と天然ガス火力が各19%。石油火力が3%(05年現在)であるが、新しい原子炉は旧来の原子炉よりも出力が大きいので、発電量は3割増よりも相当多くなる。
 米国以外の国でも流れが変わりつつある。フィンランドでは原子炉1基を建設中であるし、英国では原子炉新設計画の新基準制定を用意しつつある。オーストラリアは豊富なウラニウム資源を保有しているが、これまで原子炉を1基も持っていなかった。ジョン・ハワード前首相も「原発はオーストラリアにとっても不可欠である」と言明していた。
 活発なのはロシア・東欧だ。ロシアは30年までに電力の25%を原発で賄う方針で、15年までに構想段階を含め10基の運転開始を予定している。ルーマニアが4基を建設中のほか、ポーランドなど4カ国が共同でリトアニアに建設する計画が進んでいる。「脱原発」を掲げてきた欧州各国でもオランダ政府が06年、20年間の運転延長を認め、ブレア英前首相が「原発の再評価が大きな課題だ」とするなど、風向きは微妙に変わりつつある。                 
 「アジアでも原子力発電が拡大しており、近い将来、新たに複数の国々が乗り出すだろう」と、IAEAのエルバラダイ事務局長は7月、マレーシアでそう講演した。例えば中国では9基が稼働しているほか、フランスの技術を基にした国産原発を2005年末から建設中だ。建設・計画中が少なくとも計10基ある。  
 インドは未決定のものを含め14基の計画があり、今年末にも政府が正式に承認する見込みだという。インドネシアやベトナムでも2~4基の計画がある。このほか、カナダでは米国境近くの州に原発を造り、米国東北部に電力を供給する案が検討されているという。
 正しく管理運転されれば、原発回帰は朗報である。地政学及び、技術、経済、環境問題の全てが原発に有利な方向に変化しつつある。
 欧米諸国の政府は世界の石油とガス資源の大部分が敵対的で政情が不安定な国の政府の手に握られていることに懸念を持ている。これに反して、具合の良いことに原発産業の原料であるウラニウムはオーストラリアやカナダのような友好国に豊富に存在している。「石油依存症からの脱却」、ひいては「中東依存脱却」を狙うブッシュ政権も後押ししているのもこの辺の理由による。
 原子力の安全性についても、次世代の原子力発電所はかつての原子力プラントとは面目を一新したものとなっていると言われている。米国のGE、ウェスチングハウス、フランスのAREVAなどの原発メーカーは原発の安全性についての懸念は完全に過去のものになったと主張している。最新設計の原発は現存の原子炉よりも単純な設計になっており、その分安全性が高まっているし、建設費は割安となっており、修繕費も安上がりで、運転コストも低廉である。
 昨今でも既に米国での原発稼働率は90%にまで高まっている。1970年代にはトラブルが相次いだ結果、稼働率は50%以下であったのと比較すると、隔世の感がある。一方、日本では続出したトラブルや不祥事で、長期停止が増え、ここ10年の最高稼働率は98年度の84%。東電のトラブル隠しが発覚した02年度以降は50~70%台で低迷している。また最新の安全装置の特徴は緊急時には人間が関与しなくても自動的に原子炉の運転を停止する。
 7月16日の新潟県中越地震による柏崎刈羽原子力発電所の停止についても、専門家の間では「あれだけの地震が起きたにも拘わらず、『止める』『冷やす』『閉じ込める』という、工学的な安全防護システムが完璧に機能したことは重要な事実として評価すべきである」という声が高い。短期的な報道にとらわれることなく、冷静で客観的な分析が要求されるという訳だ。

<ガス価格高騰と原発の優位性>
 建設費が割安となりつつある原発設計技術の革新は原発の経済的優位性を高めつつある。化石燃料の逼迫も原発優位に拍車をかけている。原子力発電所は膨大な建設費がかかるが、運転費用は非常に安いと言う特徴がある。一方、1980年代と1990年代の大量に建設されたガス火力発電所は正反対である。米国では電力需要が増加した時、ガス火力発電所が電力追加供給の役割を果たすので、ガス価格が電力の卸売価格を決定することになる。現に過去数年間電力価格はガス価格の高騰に比例して、切り上がってきた。一方原発の運転コストは比較的安定している。米エネルギー情報局(EIA)によると、2005年の電力卸売価格は1キロワット時(kwh)あたり、5セントであったと言う。処が業界団体である原子力エネルギー研究所の計算によると、米国の原発の運転コストの平均はkwh当たり1.7セントだと言う。実に約200%の超過利潤(差額地代的なもの)が得られる計算となる。従って、今後天然ガス価格が更に上昇していけば、現存の原発の利益率は止め処もなく上がっていくと考えられる。

<原発は気候温暖化解決の最終的な決め手か?>
 原発回帰を推し進める原動力は地球温暖化が目に見えて進行し始めたことによる。原発は石炭火力よりもクリーンで、ガス火力よりも確実で、風力よりも頼りになるベースロード電力を大量に供給する能力がある。もし自動車の動力が将来石油内燃機関から、家庭用電源からの充電による電動機に移行するならば、二酸化炭素を排出しない電力の需要は更に増大するであろう。その結果、原発のイメージは公害産業から環境に優しい産業へと変化するであろう。
 原発の道義面でのイメージチェンジは「原発の敵」を内部から分裂させつつある。一部の環境主義者は未だに原発への反感、嫌悪感を棄ててはいないが、James Lovelock(イギリスの科学者であり、作家であり、環境主義者であり、未来学者。地球を一種の超個体として見たガイア理論の提唱者として有名)、Stewart Brand(米国の環境学者)や、Patrick Moore(グリーンピ-スの創設者)などの環境保護運動の権威者は考えを変えて、原発の擁護者に変身した。
 ラブロック博士はその著作 「ガイアの復讐」(中央公論)のなかで(P.50~ 51)彼の原発観を次のように語っている。
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 「再生可能なエネルギーは聞こえはよいが、今のところ効率が悪く高くつく。将来性はあるものの、非現実的なエネルギーを試している時間が今はない。文明が切迫した危機状態にあり、今こそ原子力を利用すべきだ。さもないと、激怒した惑星によってまもなく与えられる痛みに苦しむことになるだろう。
 「原子力が地球に最小限の変化しかもたらさない安全な折り紙つきのエネルギーだと言う事実は受け入れなければならない。原子力は他の如何なる工学技術にも劣らぬほど頼りになるし、その安全性については、他の主要なエネルギー源の中で最高だということが実績によって証明されている」
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 つまり、「人間の営みを、生態系の営みから出来るだけ切り離して、生態系に迷惑のかからないような独自のシステムを作っていく必要があるだろうということである。それではその時、一体人間は何からエネルギーを得るのかという問いに対するラブロック博士の答えは、それは原子力しかない」と言うことなのである。「現実的なエネルギー源としての原子力を想定しなければ地球環境問題の解決はあり得ない」と。
 「地球を救う最善の方法は何か」について、世論は混乱から抜け出せていないが、環境主義の大家達の変心にも影響を受けて、次第に考え方を変えつつある。最近の英国の世論調査では原発反対派は30%に過ぎなかった。3年前には60%が原発反対であった。米国の今年3月の世論調査では50%が原発増強に賛成票を投じている。2001年には賛成は44%であったから、賛成派は有意に増えていると言える。

<原発の政治的リスク>
 しかし、原発の経済性には未だに不安が残っている。それは原発の環境面での長所が電力コストに充分反映されていないからである。何故ならば化石燃料火力発電は環境被害のコストを全く支払っていないからである。しかし、一方原発は政治的リスクと巨大固定資本投資とが絡み合ったリスクを抱えている。電力会社が原子力発電所に何十億ドルもの投資をした後で、政治の風向きが変化して、再び反原発運動が吹き荒れるような事態に陥り、倒産に追い込まれるのを怖れている。従って銀行などの投資家たちも依然として警戒を解いていない状況にある。
 しかし、原発の脅威は過大視され過ぎているのかもしれない。結局国連の調査によるチェルノブイリ原発事故の最終的な死者数4000人は中国の炭鉱事故による年間死者数を大幅に下回っている。
 ラブロック博士も原発の危険性について下記のように反論している。
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 「もし三峡ダムが決壊したら、おそらく猛烈な勢いで長江を下っていく波に呑まれて100万人の人が命を落とすであろう。チェルノブイリ原子力発電所が蒸気爆発を起こし、放出された放射能はウクライナとヨーロッパの広い範囲に撒き散らされた。多くの人々は、チェルノブイリ事故で100万人とはいかないまでも、幾万もの人々が命を落としたと考えている。しかし、チェルノブイリの直接的死者は75人に過ぎない。亡くなったのは発電所の労働者と消防士、そして勇敢にも燃える原子炉で火と戦い、事後処理を行った人々である。 
 さまざまなエネルギー源の安全性の比較については、最も信頼できる評価が、スイスのポール・シェーラー研究所から2001年に発表されている。その安全記録を比較するにあたり、世界の大規模なエネルギー源が全て調査された。彼らは1970年から1992年1テラワット年(1年を通じて連続的に作られ利用された10億キロワットの電力)あたりの死者数に、それぞれの危険性を示した。
 
    1970年から1992年のエネルギー生産業のおける死者の状況
  燃 料    死亡者数    死 者    10億キロワット年あたりの死者
  石 炭     6400     労働者         342
  天然ガス    1200   労働者と一般市民     85
  水力      4000    一般市民         883
  原子力      31     労働者           8

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 一方、ごく最近まで石炭火力発電所は安全な投資先と見なされて来た。しかし今日では殆どの電力会社は「近い将来議会が気候変動を緩和するために、温室効果ガスの排出を制限する動きにでるのではないか」と怖れている。石炭火力発電所の耐用年数は40年以上といわれており、その間地球温暖化ガスを吐き出しつづけることになる。片や原発は温室効果ガスを全く排出しない。従って、石炭火力発電はそれ自身巨大な規制リスクを抱えていることになる。これらのメリットと、原子炉の技術革新によって、もはや1970年代、1980年代のような財務的メルトダウンは起こり得ないとの主張で、如何に銀行などの投資家を説得できるかが問題である。

<原発建設のリード役は日本>
 今や公然と原発促進の立場に立ち始めた米国の原子力規制委員会(NRC)の首脳も「銀行が何らかの損害保証契約無しに米国の原発建設に融資する」ほど単純ではないと考えている。2005年に連邦議会で可決されたエネルギー政策法にはその保証を提供する仕組みが盛り込まれている。その法律は原子炉建設に4種類の政府助成措置を提供することを想定している。
 ①最初の6基の原発建設申請に対して許可手続きの遅延、原発反対の住民訴訟による損害に対して200億ドルの保険を付与する。②原発事故の際の電力会社の損害賠償責任を100億ドルに制限できることを規定した旧法の効力を延長する。③最初に建設された600万キロワットの原発が発電する電力については1キロワット時当たり1.8セント(2円強)の法人税を税額控除する。そして最も重要な措置としては④新規原発建設及び革新的技術を利用するその他のタイプの発電所建設の為の資金借入れに対して、無制限の政府保証を提供する、などである。
 ③については、前述のように「米国の原発の運転コストの平均はkwh当たり1.7セントだ」と言われているので、電力会社はただ同然で運転できることを意味する。
 この秋の米国の電力会社によるNRCに対する原発建設・運転の大量申請を見越して、日立、東芝、三菱重工などの原発メーカーの動きが活発化している。突然の需要沸騰で3連合とも米国電力業界向けのPRに躍起となっている。
 BWR(沸騰水型軽水炉)を手掛ける「日立・GE連合」と、PWR(加圧水型軽水炉)の「三菱重工・AREVA連合」、そして両方を併せ持つ「東芝・ウェスチングハウス連合」。20年以上前は11社あった世界の原発メーカーは、「三陣営」に集約されている。
 BWRは核分裂の熱エネルギーで軽水(普通の水)を沸騰させ、その蒸気でタービンを直接回して電気を起こす。構造が簡単な一方、蒸気が放射能に汚染されるので、それを外部に漏らさないようにする必要がある。一方のPWRは圧力のかかった熱水を蒸気発生器に導き、別の冷却系でタービンを回す。構造は複雑だが、放射能に汚染された軽水を容易に閉じ込められる。
 三陣営全てに日本企業が絡むのは、これまで海外での原発の新規案件が乏しい中、国内での継続的な受注からノウハウを蓄積してきたからである。一方海外を見ると、前にも説明したように米国はスリーマイルズ島での事故以来、30年間も1基の原発も建設されていない。ロシアのチェルノブイリ事故に見舞われた欧州も原発に否定的な姿勢をとってきた。国によっては新規建設が凍結されるなど海外各社は長い冬の時代を経験して次々と原発製造から撤退していった。その冬はようやく終わり、原発メーカーにも春が訪れようとしているように見える。

<天然ガスという選択について>
 一方、これまで地球温暖化防止の切り札と考えれて来た天然ガスにも逆風が吹き始めている。天然ガスは多くの点で、ほぼ理想的な化石燃料と思われており、小型で効率の良いガスタービン発電所で電気を作るのに利用される。
 政府や産業は二酸化炭素の排出を削減することで、地球温暖化に荷担した罪滅ぼしをしようとしているため、石炭や石油の代わりに天然ガスを燃やすのは大歓迎である。天然ガスの主成分は最も単純な炭化水素であるメタン、つまり炭素原子1と水素原子4からなる分子(CH4)である。石炭と石油と同じエネルギーを発生させるのに、メタン燃焼は二酸化炭素の排出が半分で済む。つまり、完全にガスによってエネルギーを供給すれば、二酸化炭素の排出が半減する。京都議定書のような国際協定で設定される目標をクリアするには打ってつけの方法だろう。
 不運なことに、実際には天然ガスの一部は燃焼する前に空気中に漏れる。その総量はガスの2~4%にあたると2004年に化学工業会の報告書は述べている。。生産拠点から発電所や家庭へとガスを運ぶ何千キロに及ぶパイプラインでは、細心の注意を払ってもガス漏れが起きる。マックスプランク研究所の調査によると、ロシアの天然ガスパイプラインからは1.4%の漏出があること、それは1.5%と言うアメリカのパイプラインからの漏出と同程度であると報告している。それに生産地での漏出を加えると化学工業会の2~4%という数字になるのだろう。
 メタン漏出の問題点はこの物質が二酸化炭素の24倍以上の高い温室効果持つガスだと言う点にある。
 ガスの生産拠点は政治情勢の不安定な地域にあることが多く適切な管理は不可能に近い。テロリスト集団にとってパイプラインは格好の標的になる。
 LNG化して巨大タンカーで運ぶ場合も漏出は免れない。メタンはマイナス160度Cで液化し、断熱した巨大タンクで運ぶことが出来る。タンクの壁ごしに熱が流れ込むと、液化メタンは沸騰し、一部が漏出する。
 現在の世界では、石炭の代わりにガスを燃やせば、地球温暖化を抑制するどころか悪化させるとの考へ方が強まりつつある。

 以上は世界中で進みつつある「原発復権・回帰」の動向を取りまとめてみた。短中期的には天然ガス火力発電の建設はもとより、石炭火力発電建設も増大していくであろうが、「永遠の相の下に」に眺めてみれば、原発が次第に優勢となっていくと考えられる。原発回帰の今後の動向が注目される所以である。

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December 03, 2007

大型タンカーは浮かぶ要塞

 中東情勢が緊張するたびに世界中の指導者は重要物資を長距離輸送する石油タンカーが直面する危険に悩まされ、海軍力増強の議論が活発化する。中国やインドなど新興国の軍事専門家もタンカーを護衛するために外洋海運が必要と主張し始めた。
 米国は世界最大の石油消費国であり、石油消費量の60%を輸入しており、その95%は海上輸送による輸入である。世界第3位の石油輸入国である日本は殆ど全面的に海上輸送での輸入に頼っている。中国は消費量の46%を、インドは68%を輸入している。2025年までに中国は消費量の75%を、インドは85%を輸入に依存するようになり、両国ともその95%は海上輸送に頼ることになる。
 これらの諸国の経済的生存はは21マイルの広さしかないホルムズ海峡経由の安全航行に依存しており、2004年には世界の石油輸送量の25%に相当する日量1650~1700万バレルの石油がこの海峡を通過した。さらに中国、日本、米国西岸向けの石油は日量1170万バレルであり、全量マラッカ海峡とシンガポール海峡を通過する。
 しかし、実際は石油の海上輸送の危険は一般に考えられているよりは遥かに少ないようである。第一にタンカーは一般人が考えるほど柔ではない。第二に限定的な地域紛争は海上輸送に深刻な影響を与えることはないし、テロリストの攻撃の経済的悪影響はさらに限定的である。第三にか石油の海上輸送を全面的に押さえ込む実力を持っているのは米国海軍だけであるが、しかし米国はむしろ海上輸送の安全を護ることにコミットしている。
 特にタンカーが大型化し、船殻がダブルハル化によって強化されたことの効果は大きい。タンカーへのミサイル攻撃は巨大甲板の上で爆発してしまい、タンカーには大した被害を与えない。仮にミサイルが甲板を貫通して、タンク内で爆発したとしても、引火を呼ぶことなく、液体原油とバラスト水が爆発を吸収していまうと言う。またタンカーの高速化も低速の潜水艦による捕捉を困難にした。タンカーの世代交代が思わぬ効果を上げたようである。

                          (高瀬 鴻)

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December 01, 2007

パレスチナ和平への道はエルサレム経由以外にはない。

パレスチナ和平への道はエルサレム経由以外にはない。
   ―求められるイスラエルの大胆な譲歩―

 調査月報7・8月号で第三次中東戦争から40年の今、中東和平の障害が遠く40年前の六日間戦争後の戦後処理のボタンの掛け違いであることを紹介した。
 その後の中東和平工作は一進一退で混迷を極めているが、しかし世界の論壇の彼方此方では、パレスチナ和平に関する論議が活発化しつつある。一部の楽観主義者の間では1年以内にパレスチナ国家の正式発足がありうるとの観測がなされている。今回はパレスチナ和平論議の最新の動きを探ってみたい。

<イラク戦争の勝利がパレスチナ和平への道を拓く>
 イラク戦争の前にはイスラエル・パレスチナ紛争に関して、「エルサレムへの道はバグダッド経由で拓かれる」と言う楽観的な米国ネオコンのスローガンが横行していた。即ちイラク戦争における米国の勝利がイスラエルとパレスチナの和平への政治的状況を産み出すというのである。
 米国のイラクでの失敗が明らかになりつつある現在、新しい理論が囁かれ始めた。今度のスローガンは「エルサレムへの道はテヘラン経由で拓かれる」という訳だ。それはイスラエルとパレスチナの和平への政治状況を創るのはイランの軍事力の増強と勢力拡大―それはイラク戦争でさらに促進された―であると言う。
 
<イランの脅威が中東和平の契機に>
 「バグダッド経由の道」理論は中東地域の民主化の進展と言う楽観的なビジョンを根拠にしていたが、「テヘラン経由の道」理論は恐怖に根ざしている。イラン台頭の脅威はイスラエル・パレスチナ紛争の全ての当事者に和平に向けての新しい関心を惹起しつつあるとの主張である。しかもイランの支援を得ている戦闘的イスラム主義者ハマスがガザ地区の支配権を掌握し、暫定自治政府として建設途上のパレスチナ国家を二つに分裂させてしまったからなお更である。イランは核兵器開発以外にもロシア製のスホイ30戦闘機250機の調達を進めており、中東ではイランの核開発問題を震源として軍備増強の連鎖が始まろうとしている。スホイ30戦闘機はロシア独自の技術による極めて優れた運動性能を持つほか、爆撃機能を備えており、完成度が高いと言われている。これらがイランの脅威をかき立てているのである。
 コンドリーザ・ライス米国務長官はこの機会を有効に活用しようとしている。この秋に中東和平会議を招集すると約束した。この会議に参加すると見られるのは、イスラエル、パレスチナ、米国、エジプト、ヨルダンの各国である。サウジ・アラビアも参加する可能性が高い。サウジの参加は中東和平にとって重要な進展と見なされることになろう。
 サウジ及びその他の親欧米アラブ国家は、イスラエル・パレスチナ和平協定によってイランが中東地域を挟み撃ちする形で騒動を起こすのが非常に難しくなることをよく認識している。イスラエルにとってもこの和平協定は非公式の反イラン統一戦線の一環として、親欧米アラブ国家との関係改善への展望を開くことになろう。またそれによってハマスの勢力拡大を逆転させる希望も出てくる。同じ理由で、パレスチナ政権とモハムード・アバス大統領も和平協定をものすごく必要としている。そして、ブッシュ米大統領は二国家方式による中東和平に終に成功した米大統領になることによって、批判勢力をうろたえさせる機会を大いに楽しむことになろう。根っからの楽観主義者たちは1年以内にパレスチナ国家の建設があり得ると議論している。
 そのような進展を信じられれば、こんなに幸せなことはない。しかし、全く逆の方向に動かそうとしている力はそれよりも強力に作用していることも分かってきた。
 核兵器開発を含むイランの軍事力の増強によってアラブ世界の姿勢が新しい形を取りはじめたことは確かである。しかしイランの脅威はサウジにイスラエルの承認を余儀なくさせるほど強力とは言えない。特にパレスチナ難民の故郷復帰権などの重要なアラブの要求にイスラエルが譲歩することなどありえない状況ではなお更である。あるイスラエル人外交官が言っているように、「この地域では敵の敵は味方ではなく、依然として敵」なのである。始祖イブン・サウドがイスラムの改革を主張するイブン・アブドラワッハーブの思想に共鳴して建国した厳格なイスラムを国是とする元祖イスラム過激主義国家を率いるサウド家としては王室の存在意義にかかわる下手な譲歩出来ないからである。
 
<イスラエルとパレスチナの主張の隔たりは大きい>
 ファタファとパレスチナ暫定自治政府の高官達は「アバス大統領は拒否するしか方法がないような協定案しか手にすることは出来ないであろう」と論じている。またファタファのある有力党員は「イスラエルの安全柵の境界線の内側での国家建設を認めると言う提案しか手に出来ないだろう。それはヨルダン川西岸の相当大きな部分を失うことを意味する。イスラエル人の入植地は存続することになろうし、国境線はイスラエルが管理することとなろう。またパレスチナ国家は軍隊の保有を認められないであろう。パレスチナ人の故郷復帰権は認められず、エルサレムの実効支配はイスラエルの手に帰することになろう。これらの提案は暫定的な取り決めと言う形で提案されるであろうが、しかし暫定案は結局は恒久的体制になってしまうだろう」と陰鬱な予測を語った。アバスの盟友は「そのような取り決めを受託することはアバスとファタファにとって政治的自殺行為である。ハマスは労せずしてパレスチナの大義を獲得することになろう」と言う。
 このシナリオに対して、イスラエルの高官は「パレスチナ人は楽観的過ぎる。彼らはこのような提案すら手にすることは出来まい」と答えた。イスラエル軍はヨルダン川西岸の治安維持権をパレスチナ側に委譲するするのに極めて消極的である。それは世論の支持を得ているようでもある。イスラエルが建設した巨大な安全障壁は自爆テロリストを締め出すのには役立っている。しかし、レバノンとガザからはイスラエルに対してロケット弾が打ち込まれている。
 ヨルダン川西岸からも同じようなロケット攻撃がイスラエルの大都市に加えられることもありうる。イスラエル軍部は「だからこそ数百箇所の検問所を保持する必要があるのだ」と主張している。これらの検問所の存在が毎日の生活と商売を極めて困難なものにしている。ヨルダン川西岸のある街から別の街への移動は本来数分で済むはずのものが、検問所の存在の故にしばしば数時間もかかることがある。
 現在のイスラエルの雰囲気は恐怖と自己満足のない交ぜであるように思われる。これは多分和平交渉の機会には致命的な被害を与えることになろう。恐怖は約1000人のイスラエル人を殺戮したパレスチナのテロ攻勢の遺産である。ハマスの勢力拡大に加えて、自爆テロの記憶がイスラエルの民衆の間に敢えて和平のリスクに賭けてみようという気分を著しく萎えさせてしまった。
 
<自爆テロが収束してみると・・・・>
 しかし、自爆テロは中止している。目下のところ、イスラエルの暮らし振りは良好である。2002年には死んだように見えた西エルサレムのナイトライフが再び活気を取り戻した。最近開かれたワイン・フェスティバルでは裕福なイスラエル人たちがこの国の小規模ワイナリーから出品されたフランス風のカベルネ・ワインや、ドイツ風のリースリング・ワインの試飲を楽しむ姿が見られた。ラマラやベツレヘムのようなパレスチナの町はエルサレムからほんの数マイルしか離れていない。しかし、壁の向こう側に居るパレスチナ人の存在は普通のイスラエル人の眼中にはないし、気にかける存在でもない。ガザ地方は更に効果的に封鎖されている。人口過密となったガザ地区のパレスチナ人は水や食糧、医薬品も入手できなくなり、安全すら保障されなくなった。しかしイランとハマスについて過度に神経質となっており、イスラエル人たちはの安全が高まったと感じているわけではない。しかしイスラエル人たちはただ和平のためにリスクを冒す必要性は殆ど感じていない。
 
<イスラエルの大胆な決断こそが和平への道>
 しかし、イスラエル人たちの当座の安心感は偽りのものでしかない。「我々は占領地の時限爆弾の上に座っているようなものだ」とあるイスラエル高官は心情を吐露した。パレスチナ人は怒り狂っており、その挫折感と欲求不満は既に2回にわたる武装蜂起を惹き起こしている。イスラエルの安全保障措置はパレスチナ経済を確実に弱体化させており、一方ではイスラエル人入植地の虫食いのような拡大がパレスチナ国家建設実現の夢を徐々に奪い取りつつある。ハマスの勢力拡大こそがパレスチナの大義がますます過激化しつつある証である。しかもそれは今後ますます過激化する可能性が大である。
 イスラエルとパレスチナの二国家並存という解決策の機会が最終的に消えてしまう前に、イスラエル政府は真に大胆な指導力を発揮して、現時点に於けるイスラエルの相対的な力の優位性を活用して、真の和平取引を確実なものにすべきであろう。それは主要な争点であるエルサレム、入植地、国境線について寛大な痛みを伴う譲歩をすることを意味する。 イスラエル・パレスチナ和平への道はバグダッドやテヘラン経由ではあり得ない。それは依然としてエルサレムとヨルダン川西岸経由なのである。しかし、目下のところ、その道は物理的にも心理的にも巨大な壁で閉ざされている。
 
 今やイスラエル・パレスチナ地域では、憎しみが憎しみを生み、解決はより困難な状態となっている。それでも、イスラエルとパレスチナの和平は何時かはかなうはずと信じている人も多い。希望だけは失いたくないものである。
 一方では石油価格の高騰に支えられて、ドバイなどペルシャ湾南岸は一大金融センター、リゾート地を創り出そうとする止まるところを知らない建設ブームに沸いている。欧米流の物質主義、近代経済社会の約束である世俗的な制度は既に中東に根付いている。この世俗主義、物質主義的堕落が次第にイスラム過激主義の毒を抜いていく可能性もないとは言えない。今後の中東情勢の進展は眼が離せない。

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秘密政治警察(KGB)国家ロシアの復活とその限界

 ロシアのプーチン大統領は10月1日、政権与党「統一ロシア」の党大会で演説し、自らが12月の下院選挙で同党の比例代表名簿の第1位になることに賛成すると述べた。これに伴い首相に就任する可能性も排除しなかった。国民の支持を集める大統領が名簿入りすることで同党の圧勝は確実となる。来春の大統領辞任後も“プーチン体制”を維持する動きを本格化したといえそうだ。
 然らばプーチン体制はどのようにして形成され、何処に向かおうとしているのだろうか?

<ロシア武力威嚇外交の復権>
 ソ連の崩壊以降中止していた原爆搭載機の世界的規模でのパトロール飛行の再開に当たり、プーチン大統領は「わがロシア空軍のパイロット達は長期にわたって、翼を奪われ、地上に貼り付けになっていた。彼らは新しい活躍の場を与えられて、欣喜雀躍している」と演説した。それ以前にも中国と共同軍事演習を実施したし、地中海に海軍基地を再開する交渉を開始している。また北極海の海底にチタン製のロシア国旗を打ち立てて、領有権主張の足がかりにしようとしているなどと、ロシアの武力威嚇外交が目に余り始めた。ソビエト連邦は崩壊し、共産主義が葬られて久しいのに、プーチンはロシアと言う凶暴な熊が戻ってきたことを世界に誇示しようとしている。 ロシアの権力中枢、クレムリンを牛耳るプーチンの関心事は「KGB政権」の維持・発展とそれを支える資源利権の独占にある。
 ①石油と②ガスと③希少金属、それと④武器輸出。これがプーチンKGB政権の利権とパワーの源泉であると言われている。
 どうしてこのような事態になったのか? 欧州の一員になろうと指向したゴルバチョフ時代の路線からの逸脱はどうして生じたのか? 欧米諸国政府の失敗は何処にあったのか? 友好的なロシアを失ったのは誰の責任か? 
 
<プーチン登場の謎>
 しかし、このような強面のロシアの復権にとって外部からの要因は二次的なものに過ぎない。プーチンがどのようにしてクレムリンの最高権力を手に入れ、その支配を強化したかを理解する為には、その事態は旧KGBの文化、心理状況と世界観が見事に復活してきた証拠と見るのが最善最短の道である。
 最初はエリツィンの首相として、次いで大統領の後継者となるために、プーチンが無名の存在から表舞台に登場したときには、欧米諸国の中には、短期間ではあるがKGBの後身であるFSB長官を務めた、このKGB元高官のことを聞いたことのある人は殆どいなかった。プーチンが大統領になる直前に「FSBのスパイの一団が密かに仮面をかぶって、ロシア連邦政府に潜入して、活動し、その任務を完遂した」と仲間内で話したと言う。プーチンが大統領在任二期の間に、FSBとその姉妹機関の出身者が政府、メディア、経済界、軍部と治安機関の実権を掌握した。今や政府高官の1/4はシロビキである。ロシア語でシロビキとは武力派と言う意味で、FSB出身者だけではなく、広く軍関係者、その他の治安関係機関出身者を含む概念である。若しシロビキを単に治安関係機関と関係のあった人々と言う範囲にまで広げると、政府高官の実に3/4はシロビキだということになる。これらの人々は心理的に同質のグループであって、ボルシェビーキの最初の秘密政治警察機関であるチェカー(Cheka) にまで遡るルーツに極めて忠実である。
 
<KGBクーデターの失敗とKGBの復讐>
 所謂シロビキを突き動かしている動機は何なのか? それは1991年8月にKGBクーデターが失敗した際の裏切られたと言う感情と屈辱感、及び1990年代前半に彼らを蔑ろにした人たちへの復讐であると言う。
 KGBのクーデターは1991年8月19日、ゴルバチョフ大統領と各主権共和国指導者が「各主権共和国は独立した共和国として共通の大統領、外交、軍事政策下に連合する」という新連邦条約に調印する前日、「国家非常事態委員会」を称するグループがモスクワでの権力奪取を試みた。ゲンナジー・ヤナーエフ副大統領を始めとする守旧派グループによる体制維持が目的の反改革クーデターはウラジーミル・クリュチコフKGB議長が計画したものである。守旧派は新連邦条約がいくつかの小さな共和国、特にエストニア、ラトビア、リトアニアと言った国々の完全独立に向けた動きを促進するだろうという恐れから同条約に反対した。彼らは、新連邦条約は各主権共和国へ権力を過度に分散させすぎたものだと見なした。
 シロビキにはいろいろなイデオロギーの持主がいるが、ソビエット連邦の崩壊を20世紀最大の地政学的大災害であると見る点では共通しており、ロシアは辱めを受けたと言う民衆に広がった感情を利用して、かつてのソビエト連邦のような強力な国家を創りたいと熱望している。
 KGBクーデターはロシア共和国大統領エリツィンがクーデターへの反対に立ち上がったことにより、失敗に終わった。エリツィンは8月19日午前11時に記者会見を行い「クーデターは違憲、国家非常事態委員会は非合法」との声明を発表した。エリツィンはゴルバチョフ大統領が国民の前に姿を見せること、臨時人民代議員大会の招集などを要求、自ら戦車の上で旗を振りゼネストを呼掛け戦車兵を説得、市民はロシア共和国最高会議ビル(別名:ホワイトハウス)周辺にバリケードを構築した。クーデターには陸軍最新鋭部隊と空軍は参加しなかった。大勢が決した22日歓喜した群集はKGB本部ビルに向かい、KGBの創設者ゼェルジンスキーの銅像をクレーンで引き倒した。KGBの残党達はゴルバチョフやエリツィン、さらにはクーデターの首謀者達に裏切られたと感じた。
 この裏切られたと言う感情と屈辱感はロシア全国及び海外に展開したいた50万人のKGBのスパイ達の共通の思いとなった。当時KGBの中佐だったプーチンもその一員であったことは言うまでもない。「彼らの勝利を短命なものにしてみせる」と密かに誓ったと言う。

<インテリ集団KGBとペレストロイカ>
 プーチンが類稀なる政治家として尊敬するのは、ブレジネフ共産党書記長の後継者となったユリ・アンドロポフKGB長官であると言う。アンドロポフはソビエト連邦とその政治システムを温存するために、停滞しているソビエト経済を改革しようと試みたが、これこそがプーチンのモデルである。
 1960年代と1970年代にKGBに入隊したスタッフ達(プーチンは1975年入隊)は高等教育を受けており、プラグマチックな考え方を身に付けていたので、ソビエト経済の悲惨な状態や共産党幹部の旧態依然たる状況を熟知していた。KGBこそがゴルバチョフが始めたペレストロイカと言う曖昧な改革政策の原動力の一つであった。ペレストロイカの改革はソビエト連邦を延命させると言う意味があった。しかし、ペレストロイカがKGBの存在を危うくし始めた時、KGBはゴルバチョフに対するクーデターに決起したのである。これが逆にソビエト連邦を崩壊に追い込んだのは皮肉であった。
 クーデター側の敗北はロシアがKGB的な秘密警察組織を廃止する歴史的な機会であった。「もしゴルバチョフかエリツィンのどちらかが、1991年の秋にKGBを解体する勇気を持ち合わせていたら、さしたる抵抗に遭うことなくKGBを解体できたであろう」と言われている。ゴルバチョフもエリツィンもKGBを解体する代わりに微温的な改革を試みたに過ぎない。
 KGBの「青い血(名門の血統と言う意味)」、即ち中心的エリートの諜報担当の第一局は独立した情報組織となり、それ以外の部局は数個の組織に分割された。その後改革は頓挫し、これらの組織は治安省に再統合された。そして治安省が国家機関のみならず、企業体にも予備役を派遣するようになった。間もなくKGBの官僚が税務警察と税関の主要ポストを占めるようになった。1993年末にはエリツィン自身が認めたように、KGBを再編成しようとする試みは表面的で見せかけのだけのものに堕してしまった。「秘密政治警察組織は温存され、復活してしまった」とエリツインは率直に認めている。
 しかしながら、エリツィンはKGBの復活を許したものの、KGBを権力基盤として利用しようとはしなかった。

<エリツィン時代の屈辱―オリガルヒの用心棒として生き延びる>
 だからといって、KGBはエリツィン時代に良い思いをしたわけではない。事実KGBはソ連邦解体後の遺産分割からは完全に疎外されていた。更に悪いことに、KGBは機を見るに敏な日和見主義者の小グループに出し抜かれて、排除されてしまった。日和見主義者の多くはKGBが忌み嫌うユダヤ人たちであり、後にオリガルヒ(新興財閥)と呼ばれるようになった。オリガルヒは国有財産である天然資源や民営化された資産の殆どを強奪してしまった。KGB官僚は一文無しで、給料の支払いも滞りがちであったその時期に、オリガルヒどもがぬくぬくと大金持ちに成り上がっていくのを、指をくわえて見ていなければならなかった。
 一部のKGB官僚はオリガルヒに彼らの得意技を提供することで巧く立ち回った。過激な犯罪や強請りから自分自身を護るために、オリガルヒはKGBの一部を私有化しようとした。惜しむことなく多額の費用を投じた巨大なオリガルヒの警備部門はKGBの元官僚たちがそのスタッフとなり、運営に当たった。オリガルヒはKGBの高官をコンサルタントとして雇った。反対派取締りの元締めであった第五局長官のFillip Bobkovはメディア王のVladimir Guisinskyに雇われた。KGBスポークスマンのKondaurovは大手石油会社ユーコスの所有者Mikhail Khodorkovsky のために働いた。FSBに留まっていたのは寧ろ二流の人材に過ぎなかった。
 下級官僚達はロシアの富豪たちのボディガードとして働いた。昨年ロンドンでリトビエンコを殺害したとされる容疑者Anrrei Lugovoiは英国に亡命を余儀なくされたベレゾフスキーのガードマンをしていた。KGBの退職者を人材供給源とする何百もの警備会社が全国各地に設立されたが、彼らはKGBとその同僚達との絆を維持していた。警備会社のガードマン8万人のスポークスマンを務めるKGB特別襲撃部隊の元隊員は彼らの思いを次のように語っている。

 「不遇の1990年代に於ける我々の目的はただ一つだった。生き延びて我々の技能を温存することであった。我々はFSBに留まった人たちとは切り離された無縁の存在になったと考えたこともなかった。我々はFSBの現役と全てを共有しており、我々の仕事を別の形で国益に奉仕する手段だと考えた。そして再び我々が必要とされる時が来ると信じていた」と。

<仲間内で国家を私物化―経済界にも張り巡らされたKGBネットワーク>
 1999年の大晦日にその時がやって来た。エリツィンが辞職し、KGBに対しては反感を懐いていたにも拘わらず、プーチンを大統領代行に任命して政府の実権を譲り渡した。それより1年半前の1998年7月にはエリツィンはプーチンをFSBの長官に任命し、一年後の1999年8月には首相に任命していたのである。
 プーチンは長年の野望を実現する機会を待っていたかのように、彼の最初の仕事は国家の支配を復活し、政治権力を強化し、オリガルヒや地方政府の知事、メディア、議会、反対党、及びNGOなどの影響力を骨抜きにすることであった。プーチンのKGB時代の仲間がこの仕事に大いに貢献した。
 政治的に最も影響力を行使していたオリガルヒのベレゾフスキーとグイシンスキー――プーチンが権力を握るのを助けた――は国外に追放されて、両者が支配していたTVチャンネルは国家の手に帰した。ロシア最大の富豪ホドルコフスキーは頑強であった。何度も警告を受けながら、反対党とNGOを支援し続け、ロシアを出て行くことを拒否した。2003年にFSBは彼を逮捕し、見せしめの裁判の後、投獄された。
 頑強に抵抗する地方の知事達に対処するために、プーチンは査察と監督権を有する監察使を送り込んだ。その殆どはKGBの元職員であった。地方知事は予算権と上院での議席を奪われた。そして選挙民は知事の選挙権を奪われてしまった。
 全ての戦略的重要事項はプーチンの非公式政治局を構成する小集団が決定しているという。その小グループのメンバーはIgor Sechin(経済担当)、Viktor Ivanov(クレムリンの人事)、Nikolai Patrushev(FSB長官)、Sergei Ivanov(第一副首相)と言われており、全員がセント・ペテルスブルグ出身で諜報部門か或いは防諜部門に勤務していた。
 シロビキの権力は巨大な財力を持つ国有企業支配によって更に強化されている。ロシア政府のポストと経済界でのポストが渾然一体の複合体を形成しているのは経済界に張りめぐられたシロビキのネットワークを見れば、一目瞭然である。

[政財界を横断するシロビキのネットワーク]
 要人名  政府のポスト  経済界でのポスト
 Sechin   大統領府長官代理  Rosneft(巨大石油会社)会長
 Viktor Ivanov  大統領府長官代理  Almaz-Antai(最大ミサイル製造会社)会長                      Aeroflot(航空会社)会長
 Sergei Ivanov    第一副首相 航空機製造独占企業(新設)社長
 Dmitirii Medvedev 第一副首相     Gazprom(巨大ガス会社)会長
 Alexei Gromov   大統領報道官    Channel One(主要テレビ会社)会長
 Vladimir Yakunin 元国連大使     国有鉄道社長
 Sergei Chemezov ドレスデン時代同僚 Rosoboronexport(武器輸出会社)社長

 ガスプロムにはトップだけではなく、KGBからの派遣者が経営の要職を占めているし、更には多くの予備役高官がロシアの国営及び民営の大会社に派遣されている。彼らはFSBの給料の支払いを受けながら、派遣先の会社からも月給を貰っている。彼らの任務は企業が国益に反する決定をしないように監視することであると言う。あるKGB予備役職員は「企業への派遣職員になることは憧れの仕事である。高額の給料が支給されて、しかもFSB職員の特権も維持できるからだ」と語っている。

<大衆受けする反オリガルヒ・反西欧キャンペーン>
 国営石油会社Rosneft社は、有力なオリガルヒであったホドルコフスキーが所有していた大手石油会社ユーコスが解体に追い込まれた後の遺産相続人となった。そのユーコスへの国家の攻撃が最終段階に達した時、SechinがRosneftの会長に任命された。ユーコスの解体はシロビキへの財産を再分配する最初で最もあからさまな実例であるが、唯一の例というわけではない。急速に成長しつつあった石油会社Russneftの所有者Mikhail Gutserievは今年の8月、事業放棄に追い込まれた。検察庁や税務署、内務省などが不正行為があると難癖をつけて、締め上げたからだと言う。
 オリガルヒからシロビキへの金融資産の移転は多分必然性があったのであろう。ロシア人大衆からの反対は全くなかった。国家の資産を掠め取ったと思われている盗賊貴族であるオリガルヒへの同情は殆ど皆無だったからである。しかし私有財産が恣意的に国家官僚によって取り上げられ、KGBの仲間内で山分けされる風潮風土は歓迎されるものではない。海外からの投資は勿論、更に衝撃的なのは、国内投資ですらも、中国に比べれば極めて低水準である。
 KGB人脈の首脳達は自分達こそが世界の真相、実像を理解している唯一の存在であると自負している。一般民衆には見分けられない敵の存在を自分達だけが見分けられると信じている。その世界観の中心には誇張された敵視感がある。その敵の存在こそがKGB人脈の存在理由でもある。
 1999年に「数年前最早我々には敵は存在しないと言う幻想にとらわれた。その高いツケを今、支払わされている」とプーチンはFSB内で演説した。この見方はKGB元職員やその後継者達によって共有されている。「最大の危険は欧米諸国からやって来る。彼らの目的はロシアを弱体化し、混乱を巻き起こそうとしている。欧米諸国はロシアを彼らの技術の奴隷にしようとしており、彼らの商品をわが市場に氾濫させようとしている。しかし、有難いことに我々はなお有力核兵器保有国である」と。シロビキの「敵に包囲されているロシア」と言う被害妄想意識と、反西側主義はロシアの民衆に大いに受けている。「ゴルバチョフ時代にロシアは西側諸国から好感を持たれていた。しかし、我々はそれによって何かを得られたか? 我々の方が全てを差し出しただけではないか? 東欧諸国、ウクライナ、そしてグルジア。今やNATOがロシア国境まで迫ってきている」と言う見方がその雰囲気を見事に表現している。また西側に評判の良い、自由な考え方のできるジャーナリストや独立のアナリスト、科学者などは内なる敵と見なされている。

<世襲化する特権階級KGB>
 多くの指標から、今日の治安権力のボス達は権力と金力の両方を欲しい侭にしていることが分かる。これはロシアの歴史では前例のないことである。ソ連のKGBとその前身である帝政時代の秘密警察も金には関心がなかった。関心を払ったのは専ら権力であった。KGBは強大な勢力ではあったが、共産党の戦闘部隊に過ぎず、共産党に従属する存在であった。情報機関と治安機関、秘密政治警察などの機能を独占したKGBは誰よりも諸情報に通じていたが、自己の権限で活動することは出来なかった。ただ共産党にご注進するだけであった。1970年代、1980年代には共産党幹部をスパイすることさえ許されておらず、非人間的ではあったが、少なくともソ連の法律の範囲内で活動していた。
 KGBは監視と抑圧の機能を果たしていた。それは「国家内の国家」という存在であった。しかし今やKGBは国家そのものになってしまった。プーチン以外にFSBに「No!」と言える人物はいない。
 自分達を国家と一体と考えるシロビキの小集団の手に政治権力と財力が集中しているが、治安機関の下っ端にも恩恵を及ぼすことを怠っていない。FSBの諜報部員の平均的な賃金は過去10年間で数倍に跳ね上がった。FSBの陣笠達は民間の手からシロビキへの私有財産の移転は国家の利益であると信じている。
 しかしシロビキの権力行使は憲法や法律に規定された正統性のあるものとはいえない。「国家権力を回復し、ロシアを崩壊から救出し、ロシアを弱体化しようとする敵の企みを阻止することが我々の特別の任務である」と彼らは主張している。
 シロビキは彼らの任務の為には法律に違反することも許される強固な結社であると考えている。彼らの言動は無法者の色彩を帯びているが、彼らの愛国心は民衆に対する軽蔑心と一体である。しかし、彼らは相互には極めて結束が堅い。
 シロビキの仲間になる競争は激烈である。KGBは注意深く新人を発掘した。いろいろな機関や大学から見込みのある若者を一本釣りし、KGBの特別の学校に送り込んだ。モスクワに設置されている今日のFSB大学校はシロビキ幹部の子弟達が挙って入学している。「大事なのはそこで何を学ぶかではない。そこで誰と出会い、如何なる人脈を作るかである」と言う。
 FSB大学校の卒業生は仲が良い。「チェキスト(KGBの前身の秘密警察)は血統であると思う」とあるFSB将官は告白している。KGBのよき血統、即ち父親または祖父がKGB勤務であったならば、今日のシロビキでは高い評価を受ける。シロビキの家族間の結婚も奨励されている。

<KGB支配の限界>
 プーチンが大統領になった時のGDPは世界第10位で、外貨準備は85億ドルに過ぎなかった。処が今日ではGDPは世界第8位に上昇し、外貨準備は4075億ドルに跳ね上がった。クレムリンは欧州諸国のロシア産ガスへの依存度を高めて、自国の勢力拡大の政策手段として活用しようとしている。
 しかし、ロシア経済の好調は石油、ガス及びその他の天然資源の価格高騰に大きく依存している。これは長続きするとはいえない。ロシアの製造業やサービス産業、ハイテク産業は極めて弱体である。前に述べたように海外からの投資、国内投資とも中国に比べ著しく低調である。
 国土の大きさと強大な軍事力とによって、ロシアは世界の大国である。しかし、かつてのソ連時代には共産主義というイデオロギーを通じての、ソフト・パワーやある種の政治道義的威信が存在したが、今やそれも消失してしまった。その代わりに恐怖と威嚇のみが残っている。
 シロビキ達はソ連時代からのルーツに忠実ではあるが、彼らの祖先とは大きく異なっている。彼らは共産主義イデオロギーへの復帰は望んでいないし、資本主義を止めたいとも思っていない。彼らはそこから散々美味い汁を吸っているからである。祖先達の禁欲主義は何処にも見当たらない。
 ロシアの復活は周辺諸国に脅威を与え、グルジアやウクライナ、バルト三国を震え上がらせている。「敵に包囲されている」と言う考えに取り付かれたロシアの対外政策は、その考え方を自己実現的に実証する方向に動いている。全ての戦線で敵を絶え間なく非難しつづければ、多くの国を潜在的な友好国から神経質な敵対国へと変えてしまうであろう。これによってロシアは長期的には自らの国益を損なっているのではないか?
 KGBの元職員が権力の座に登りつめたのは驚くべきことではない。ロシア人が支配者に感じる魅力は断固たる態度、冷徹さ、権威、それとある種の神秘性だと言われている。KGBはこの定義に適っているか、少なくともそう見せかける方法を身に付けている。
 しかし、大企業にスパイを送り込むと言う方法はやがて失敗する運命にあるのではないか? 彼らは資産を奪い、敵を監獄に送り込む方法は知っていても、ビジネスを実際に運営する方法を知らない。KGB出身者は戦術家ではあるが、戦略的課題を解決する教育を受けてはいない。
 不安は的中しつつあるように見える。サブプライム問題に端を発する信用収縮の影響で、欧米勢がロシアから資金を引き揚げ始めているからである。
 天然ガスを独占するガスプロムでさえ、9月上旬にアレクサンドル・メドベージェフ副社長を日本に派遣、国際協力銀行に融資を申し入れた。日本の金融機関など見向きもしなかった同社の心変わりは子会社の社債発行引き受けを欧米投資家が見送るなど低利の資金調達が難しくなったことが背景にありそうだ。
 一般論としても、ロシアの民衆がもう少し豊かになる一方で、KGB人脈が経済を私物化し、しかも経済運営に失敗したことを理解するようになれば、現在の支配者達に不満を懐くようになろう。それでなくてもロシアは膨大な問題を抱えている。犯罪の横行や貧弱なインフラ、北コーカサスの分離独立運動と混乱、ぞっとするような人権侵害、不気味に迫る人口減少などである。

 事実ロシアの将来に対する最大の脅威は外部の敵から生じるのではない。寧ろ内部の弱さこそが脅威を生み出すのである。その内の一部は自業自得によるものである。プーチン若しくはシロビキにとって、この事実を認識するには本当の勇気を必要とする。これこそが彼らが自負する真の愛国心であろう。

 

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