第3次中東戦争から40年―その奇跡的大勝が災いの元に
今年は第3次中東戦争から40年になる。第二次大戦後の海運マーケットに大変動を巻き起こした第二次中東戦争(スエズ動乱)によるスエズ運河の閉鎖は約1年弱で通航再開に漕ぎつけ、比較的短期間に終わった。しかし1967年の第三次中東戦争の結果は、運河がエジプトとイスラエルの軍事境界線となり、船舶の通行は不能となった。以後、スエズ運河は8年間ものの長い間閉鎖され、再開されたのは第四次中東戦争停戦後の1975年6月のことであった。第四次中東戦争は石油危機を惹き起こし、世界経済と世界の海運情勢のその後の姿を決定したと言えるけれども、中東情勢の基本的な混迷はむしろ第三次中東戦争から始まったと考えられる。
ここでは第三次中東戦争がどのようにして始まり、その後の中東情勢を混乱に陥れていったかを振り返ってみたい。
1967年6月11日、第三次中東戦争勃発から7日目、世界中のユダヤ人たちは危機からの脱出を祝った。その激動の6月から40年たった今では、この6日戦争は大勝利を収めたものの、それが逆に災いの元になったピュロス王の勝利のように見える。しかし、それはこの戦争が必要なかったという意味ではない。エジプトのナセル大統領がシナイ半島に軍を送り、国連平和維持軍を追い出し、アカバ湾を通航するイスラエル船舶を海上封鎖した後、イスラエルは初めて反撃に出た。しかし、イスラエル軍の反撃は素早く、完膚なきものであった。1967年6月5日、イスラエル空軍機が超低空飛行でエジプト・シリア・ヨルダン・イラク領空を侵犯、各国の空軍基地を奇襲攻撃して計410機にも上る航空機を破壊した。この「レッド・シート作戦」によって制空権を奪ったイスラエルは地上軍を侵攻させ、短期間のうちにヨルダン領ヨルダン川西岸地区、エジプト領ガザ地区とシナイ半島、シリア領ゴラン高原を占領した。ヨルダンとエジプトは6月8日に停戦、シリアも6月11日に停戦した。延べ6日間の電撃作戦でイスラエルは海上輸送路の封鎖を解き、三方から包囲する地上部隊を粉砕した。これによってイスラエルの占領地域は戦前の4倍以上までに拡大した。何よりも多くのイスラエル人が真剣に恐れていたナチスに次ぐ第2の集団虐殺を回避することが出来た。ナチスのホロコーストは多くのユダヤ人を信仰の危機に追いやった。「何故、唯一の神エホバはこのような悲劇を許したのか?」と。1967年の勝利は再び信仰の根拠を与えた。そして、この勝利は世界各地に離散するユダヤ人たちを活気づけて、米国では強力なユダヤ・ロビーを生み出した。
しかし、長期的観点から見ると、この戦争は戦争相手の近隣諸国に対してのみならず、ユダヤ国家にとっても災いとなってしまった。
敗者は和平を求めなかった
災いの一因は余りににも完璧な一方的勝利であった。勝利のスピードと獲得した占領地域の大きさによって、イスラエルはその勝利に神の配剤をみた。これがイスラエル自身を変えた。占領地域に入植して領土化してしまうことを標榜する併合論者の宗教的民族主義運動を産み出した。6日間の戦争で、イスラエルはシナイ半島やシリアのゴラン高原のみならず、エルサレムの旧市街とヨルダン川西岸をも征服した。その地は旧約聖書のユダヤとサマリアが始まった地域である。理論的にはこれらの領土はイスラエルの建国以来アラブ側が拒みつづけてきた和平と交換に返還されるべきものであった。これは国連安全保障理事会の242号決議の提案でもあった。しかし、イスラエルは勝利に酔いしれ、アラブは屈辱で半身不随の状態にあった。アラブ側は和平を求める動きを見せなかったし、イスラエルも和平の申し出がないことを気にも止めなかった。その代わりにイスラエルは法と人口分布と常識を無視して、アラブ側に属していたエルサレムの半分を併合すると言う傍若無人な愚行に乗り出した。そして「大イスラエル」を確立するために全ての占領地にユダヤ人の入植地を拓いた。
6日戦争がパレスチナ人の再統合に契機となったが・・・・
6日戦争はパレスチナ人をも変えてしまった。パレスチナ人は1948年のイスラエル建国に伴う戦闘で散り散りに四散させられてしまった。一部はパレスチナの外へ逃亡したし、他の一部はユダヤ国家の市民となり、また一部はガザでエジプトの支配のもとで、或いはヨルダン川西岸でヨルダンの支配下で生きることとなった。ところが1967年の6日戦争によってパレスチナ人はイスラエルの統治下で再統合されることとなり、挫折した国家建設への渇望を激化させた。1982年にはエジプトがイスラエルとの和平合意に達し、シナイ半島が返還され、1994年にはヨルダンがイスラエルと講和条約を結んだ。しかし、ガザとヨルダン川西岸がパレスチナ人の下に戻ってくることはなかった。これによって約400万のパレスチナ人は独立を渇望しながらも、鉄条網と検問所と軍事行動に伴う難儀と屈辱に耐えながら、ユダヤ人の入植地に囲まれて、窒息しそうな生活を余儀なくされている。2年前にシャロン首相がガザからイスラエル人を撤退させたのは事実である。しかし、パレスチナ人はヨルダン川西岸とエルサレムのアラブ地区が戻ってくるまでは、和平を考えることはないであろう。そして、パレスチナ政府に委譲された権限を行使しているハマスはヨルダン側西岸とエルサレムが戻ってきても和平に応じる気はないと言明している。
[ユダヤ民族とパレスチナ民族の離散状況]
ユダヤ民族 イスラエル 540万人
世界各国 750万人
(内、米国 520万人)
パレスチナ民族 イスラエル 140万人
西岸地区 240万人
ガザ地区 140万人
世界各国 410万人
(内、ヨルダン150万人)
然らば、そこに出口はあるのか? 答えはイエスである。しかし、和平のプロセスを進めるには勇気がいる。しかし、和平プロセスに注入すべきエネルギーは非難の応酬ゲームで浪費されてしまっている。そこには沢山の非難が渦巻いているのは誰の目にも明らかである。如何なる権限があって英国は1917年にパレスチナの地にユダヤの祖国を建設させる約束をしたのか? 1947年に何故パレスチナ人は領土分割を拒否したのか? 1967年の戦争の後、何故イスラエルは占領地にユダヤ人を入植させたのか? 米国は何故イスラエルにやりたい放題やらせたのか? 何故アラブ諸国は難民がキャンプで不満を募らせるのを、そのまま放置したのか? パレスチナ人はテロリストで、シオニズムは人種主義であり、イスラエルの敵は反セム民族主義者である。アラファトは2000年にキャンプ・デービットでイスラエルの寛大な提案を受け入れるべきであった。しかし、イスラエルの提案はそれほど寛大ではなかったと言う見方もある。
そして、口論はますます激しくなり、お互いの応酬でますます耐えがたいものになって、終には中東地域を越えて拡がっていった。最初は一つの土地を巡る二つの民族の民族紛争として始まったものが、次第に、しばしば意図して、宗教紛争へと変質していき、終には全体としてのイスラムと欧米諸国全体との傷ついた関係に更に毒をすりこみはじめた。1967年以降今に至るまで占領が続いているの言うのは言語道断である。この紛争はずっと以前に解決しておくべきであった。占領の長期継続は関係者全員がその責めを負うべきである。戦争当事者は頑固に妥協を拒んだことを、中東地域の有力国はパレスチナの大義を自己の利益のために利用したことを、世界列強は絶えずこの問題に注意を払いつづけなかったことを、非難されるべきである。今こそ、この状態に終止符を打つべきである。しかし、如何すれば良いのだろうか?
占領地と平和のトレード以外に道はない
Peel卿が委員長を務めた英国王立委員会が1937年に「パレスチナのアラブ人とユダヤ人との間で抑圧不可能な紛争が起きている。この国を分割する以外に方法はない」と言う報告書を出して以来、その答えは明白である。最近に至って、分割の方法は一層明確な形を見せてきている。占領地の全てにスイス・チーズの穴のように点々と入植地を拓いているけれども、人口分布と正義は1967年の6日戦争以前の境界線を国境とすべきことを示している。これはクリントン大統領が2000年に提案した案を若干手直しすればよい。
クリントン大統領にキャンプ・デービットでの失敗が示しているように、この種の取引の合意を確実にするのは極めて難しい。クリントンの解決案によるとイスラエルはヨルダン川西岸の膨大な入植地を放棄しなければならなくなるし、ガザで実行したのを遥かに上回る入植者を撤収させなければならない。またエルサレムの統治権を分割譲渡しなければならない。
またパレスチナ人側はパレスチナ難民が60年前のイスラエル国内の故郷に帰還するのではなく、ヨルダン川西岸とガザの新国家に移住しなければならないことを認めなければならない。この種の妥協は痛みを伴う。しかし、双方が少ししか譲らず、多くを要求し続けるならば、困難を不可能に変えてしまうことになりかねない。
しかし今のところは、両者は余りに少ししか譲ろうとしていないし、過度に多くのことを要求している。少なくともイスラエルは最近、1967年の大勝利以来イスラエルを魅了し続けてきた「大イスラエル」の夢を放棄したようである。パレスチナ人はやがて沈黙するようになるだろうと言う幻想はインティファーダとガザからのハマスのロケット攻撃とによって見事に打ち砕かれてしまった。イスラエルの現政権は二つの国家と言う解決策にコミットすると言明している。しかし、イスラエルの現政権は弱体政権なので、イスラエルが払わなければならない領土的代償の全てを正直に言い出せないでいる。一方パレスチナ側は後戻りしてしまった。ハマスの言っていることが額面通りならば、ユダヤ人が中東地域において民族としての生存権を有するとの理念を拒否し続けることを意味する。何たる自己破滅的な狂気と言うべきか? 来るべき和平の為に、イスラエルはヨルダン川西岸を放棄し、エルサレムの共同統治を受け入れなければならない。パレスチナ人は故郷復帰の夢を捨てなければならないし、イスラエル人達にユダヤ国家としての安泰を実感させなければならない。それ以外は全て取るに足りない事柄である。
イスラエルは2億人のアラブ人のみならず、単一のイデオロギーに結集した12億人の武装したイスラム教徒全体を敵に回してしまったことを理解し始めたようだ。またパレスチナ人側でも、特にガザ地区では、政治的権威の失墜は政治的空白を生み出し、部族のボスと犯罪者の親分がその権力の空白を埋めつつある。このような無法状態はジハードの過激派の温床となりつつあり、パレスチナ人の苦悩は深まりつつある。
国際社会の介入と合意による一日も早いイスラエル・パレスチナ問題の解決が望まれる。
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