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May 19, 2005

塩野七生「海の都の物語」の再読を勧める。

 6月末大学のクラスメート十数名とアドリア海・エーゲ海のクルーズに行くことになった。そのクルーズの出港・帰港地が共にベネチアであり、クルーズ終了後更に2日間ベネチア観光の日程をとっていることから、思い立って昔読んだ塩野七生女史の「海の都の物語―ヴェネチア共和国の一千年」を読み直そうと考えた。
 十数年前に読んだ記憶があるが、細部は殆ど忘れていて、今回のクルーズの航路がヴェネチアが東地中海の女王として、活躍した通商ルートと重なり合う為、興味は尽きなかった。
 ヴェネチアの海洋貿易には「海上融資」で得た資金をもとに、数人の商人が航海の都度「限定合資会社(コレガンツア)」を組織し、冒険航海に乗り出すと言う形しか存在しなかったと思い込んでいたが、国家が経営し、誰でもが利用できるコモンキャリアーとしての定期船(ムーダ)が存在したこと。人口資源に乏しいヴェネチアは当時の高速ガレー船の漕ぎ手は主としてダルマチア地方の外人船員に頼っていたこと。など今日と殆ど変わらない海運の姿に感動すら覚えた。
 1000年に亘って繁栄を続けた統治機構を作り上げたプロセスなど、かつての政治学徒としての政治機構論的観点からも勉強になった。「ヴェネチア共和国は資源に恵まれなかった国である。資源に恵まれた陸地型の国家ならば、非効率の統治が続いても、それに耐えていかれる。古代ローマ帝国、ビザンチン帝国、トルコ帝国も、悪政が続いてもそれが帝国崩壊につながるには、長い長い歳月を要した。一方、資源に恵まれないヴェネチアのような国家には、失政は許されない。それはただちに、彼らの存亡につながってくるからである」との指摘は日本と中国との関係にもそのまま通用しそうな議論で、身に詰まされる思いを懐いた。勃興する陸の大国トルコとの間で虚々実々の取引や外交交渉、情報戦を展開しながら、海洋通商民族としてのアイデンティティを頑固に護り抜き、1000年の繁栄を維持しつづけたヴェネチアの歴史は、中国の台頭によって同じ運命に見舞われつつあるわが国に多くの教訓を語りかけている。
                           

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May 15, 2005

日本は極東ではなく極西

 前に「海の友情」でも書いたが、日本人と中国人、韓国人とは同文同種とはいうものの、気質が随分と違うように思える。
 日本人は争いがあっても、一度陳謝し、和解が成立したら、過去のことは水に流す。一度合意したことをむしかえすのは潔しとしないと言う美学があるように思える。処が韓国人、中国人には自分に有利となれば、何度も過去のことを蒸し返し、淡白な日本人を辟易させる。
 これは「海の友情」で指摘した海洋民族気質によるものだろうか? それとも武士道の精神なのだろうか? 武士道は西欧の騎士道に通じるものがある。そう言えば、西欧と日本には古代帝国の後、群雄割拠の封建制が成立し、近代への橋渡しとしての小規模国家としての藩や都市国家の経営を通じて、統治能力を身につけた。一方、中国、韓国などの大陸国家は古代専制国家のパターンのまま興亡を繰り返し、そのままの状態(市民層騎士層不在のまま)で産業革命によって経済力を身につけた西欧諸国の侵略に曝されることになった。福沢諭吉先生が「脱亜入歐」論を唱えられたのも無理のないことのように思える。
 梅棹忠夫博士が名著「文明の生態史観」で指摘されたように、日本は文明史的には極東に位置するのではなく、西欧から西回りに地球を回って、西欧諸国とその後継者たる米国との共通性を色濃く有する極西なのではないだろうか?
 一体どちらの気質が普遍性があり、人間として付き合い易いか。経済大国として平和的台頭を目指す中国が海洋民族的価値観や気質と激しい摩擦を起こさなければ良いがと危惧される。
 
 

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